2007年10月、姉妹都市のインチョン市を訪問

10月14日(日)

8時10分に小倉の自宅を出発。福岡空港からインチョン空港へ。わずか55分のフライト。残念ながら北九州・インチョン直行便はない。
上空から次第に見えてきたインチョン空港や港は巨大である。まさにアジアのハブだ。日曜にもかかわらず、インチョン市役所の幹部と通訳、名誉外交官、本市派遣のスタッフに出迎えていただく。歓迎の花束をいただく。花束は、配色、花種の選び、香りともにとても魅力的だった。外国で見かける花束には、どこか日本人の美意識にぴったりこないことがあるだけに、強く印象に残った。滞在中ずっと目を楽しませてくれた。
昼なのに、空港の外は、晩秋のように肌寒い。訪韓は、今回でたしか7回目だが、いつも金浦空港に降り立った。インチョン空港は、大きいが、レイアウトは明快である。

韓国をはじめて訪問したのは、ソウルオリンピックの直前だった。超党派の国会議員チームのメンバーとして参加。金浦空港からまっすぐソウル市内へ。
金大中、金永三、金ジョンビルの三氏に会い、翌々日には帰国した。金大中氏の柔和で優しい物腰は印象的で、死線を越えてきた人物だと思った。彼のゆるぎない信念を流暢な日本語で聞く。彼こそは、いずれ大統領になる人だと確信して帰国する。

2回目は、私的な旅行で妻と釜山ヘ。空港から市内へ入る道は大渋滞、家族れの行楽客の車であふれていた。北九州と同じようにひらめの刺身がおいしく、ヘウンダイの海岸線の美しさは比類がない。対馬は見えないが、270度の眺望、青い海がどこまでも広がっている。ビーチのホテルは立派だが、下町の市場を散歩すると、古い面影が息づいていた。プサンが舞台となった映画チング(友)の情景をふと感じさせる。

3回目は、日韓ワールドカップ推進議員連盟のメンバーとして訪韓。ソウルのサッカー場で、国会議員チーム同士で試合をした。釜本議員のヘデイングシュートは見事だった。守備のポジションで駆け回ったが、マークしたのは、元プロサッカー選手の議員で、失点はなかったのが今でも自慢である。夜は、韓国の与野党の国会議員団と楽しくパーテイー。バクダン酒の洗礼を受ける。隣の若手議員は、日本語を覚えようという意欲があり、日韓の将来に対する彼の見識に敬意を表した。金大中氏の側近と聞いた。

4回目は、鉄鋼のアンチダンピング問題で韓国の通産省の局長と会談し、日帰りで帰国した。(後記)

5回目は、岡田、枝野議員ら有志議員と訪韓。国会議長ら幹部に表敬し、日本人の観光客がまず行かない独立記念館を視察、韓国議員団と意見交換するためだった。
金浦空港からソウルへ。そこから、車で2時間、南へハイウエイを飛ばす。歴史パビリオンのある独立記念館を視察。戦前の憲兵隊と拷問を受ける韓国人が、カラーの蝋人形で陳列されている。衝撃的な光景、その牢屋がずらっとならんでいるところを歩いていく。遠足の韓国の子供たちと一緒にすすんでいくときの足取りの重さ。パビリオンの主役は、伊藤博文を暗殺した韓国人、ここではヒーローとして大きな銅像が置かれている。韓国の子どもたちが銅像を見て歓声をあげる。これまで、韓国は日本に一番近くて一番遠い国という見方が頭をよぎるときが時折あった。この日ばかりは、そのことを痛感させられる。言葉は違うが、いったいどこがどのように異なるのだろうか、むしろ近いがゆえに、歴史認識が反発を増幅しているのだろうか。みんなほとんど無言でソウルへ戻る。何時間も乗っている感じだった。
そのあと、夕食の相手は、韓国の若手の与野党の国会議員数名。よくぞ記念館に行ったと、韓国側の議員は全員コメントし、胸襟をひらいて話しかけてくれた。死刑判決を受けて助かった野党議員が僕の前に座った。以前から感じていたが、韓国の国会議員は、非常に有能である。あとはなごやかに天下国家論をおおいに語り合う。

6回目は、国会議員サッカーの試合で全州へ。綺麗な扇子の産地で、大学など文化都市として有名である。朝、羽田から金浦空港へ。バスで全州まで4時間、ぶっ飛ばす。夕方の試合、また負ける。ポジションはデイフェンス。国会議員同士が親睦を深める夕食会に参加、その途中で、同僚議員と中座して車でハイウエイをぶっ飛ばす。ハイウエイレストランでラーメンを食べ、またぶっ飛ばす。インチョンまで4時間半。夜中の1時半にホテル到着。翌朝、福岡空港へ戻るためである。その朝、見たインチョン空港の巨大さに仰天する。


さて、7回目の訪韓。インチョン空港内の食堂で案内役の韓国スタッフ、日本スタッフと一緒に昼食しながら日程の打合せをする。みんなで鯖焼き定食、チゲ定食を頼んだが、鯖の味、焼き方がなかなかいい。チゲの辛さもほどよい。
まっすぐ車でソウルへ。この片道1時間の車中で最近の韓国情勢について説明を受ける。外国訪問のときは、車中でのレクチャーや質問が極めて大切な意義をもっている。通訳の金さんは、中央大学で学んだ日本通、政治経済、文化、どんな質問にも丁寧に応えていただいた。ソウルは、初めて訪問した頃とかなり変貌していた。まず緑が大変多い。自動車が増えたが、排気ガス規制もすすんでいる。空は青く、街中のアメニテイーが随分いい。
まず、ソウルにある日本の都市国際協会首脳にあいさつ。自治体の国際交流を支援している組織だ。日曜出勤をしてもらって恐縮する、大統領選も話題になる。自分のあらかじめの希望で、ソウル市内の有名な川を案内していただく、川の流れを見ながら、遊歩道を歩きながら説明を聞く。たくさんの市民が楽しそうに散歩している。記念館で歴史的な経過のビデオを見、詳しく説明を聞く。高速道路を解体し、暗渠になっていた河川を見事に復元した。元ソウル市長の李さんの決断による世界的に有名な河川復元の事業だが、まさに革命的、驚異的な事業である。李さんは、ハンナラ党がおす次の有力な大統領候補である。

次にお願いして有名な観光スポット東大門に寄り、さらに南大門の商店街へ。商店街活性化、にぎわいつくりでモデル地域とされているところだ。車を降りて20分ほど歩く。どうすればこれだけのお客を呼び込めるのだろうか、ヒントを自分なりに探しながら歩く。それにしてもたくさんのお店、観光客。時間がないので、漫画館の前を通って、インチョンに急ぎ戻る。

19時からの歓迎晩餐会では、インチョン市長の左に座る。市長に就任して、初めての訪韓、姉妹都市の訪問である。経済交流などで意見を交換する。将来に希望の持てるテーマについて、市長のお考えを聞く。米国のホノルル、アンカレッジ、バーバック、ベトナムのハイフォン、インドのカルカッタ、メキシコのメルリダの各市長や随行のスタッフたちと歓談する。残念ながら一度会いたかった天津など中国の市長は欠席だった。ハイフォン副市長とは身振り手振りをまじえて楽しく懇談する。

公式行事は、初対面ということもあり、みんな緊張の連続。食事はあまりせず、やはり会話が中心。そこで終わってから、1時間ほど、日本チームを中心に近くのプルコギ屋に歩いて向かうことに。ブタバラの焼き方がユニークで有名な店という。日本語のできる、いや佐藤春夫研究に余念がないというほどの大変な日本文学通の韓国人、エキスポを担当するスタッフも一緒に。反省会を兼ねた2次会は、盛り上がる。物価は、日本とあまり変わらないと言われるが、タクシー料金と食事は確かに安い。かみしもをぬいで、無礼講でブタバラとキムチをつつく。

10月15日(月)
早朝に目覚める、快晴だったが、散歩はしなかった。2,3日前から風邪気味だったので、大事をとった。窓から見える山の稜線は美しい。
スタッフと一緒に朝食。バイキングだが、コーヒーの味は、劇薄、これには驚く。そこで滞在中は、ずっとリプトンのテイーバッグを愛用する。キムチやチゲの辛さとバランスがとれているのかも。韓国風のりまきとキムチが口に合う。のりまきの由来については、2説ある。なぜか、味噌汁、スープはない。健康の秘訣は、朝食を必ずとることだと思う。我が家の朝食メニューは、自分の希望で茶粥、大根おろしと焼き魚、梅干、ウィンナーとピーマンの炒めか卵焼きのチョイスと、だいたい決まっている。投宿したホテルでは、毎朝、のりまき、野菜サラダ、ウィンナー、キムチ、紅茶であった。

文化国際部が作成したぶあつい資料を読み直す。いよいよ10時すぎ、インチョン市姉妹都市・市長サミットが始まる。各市長は10分から15分でプレゼンテーションをする。北九州は英語による映像ビデオを持参した。国によってそれぞれ特長がある。アメリカの都市は、観光、風景を強調、ベトナムは、企業誘致の細かい条件、というように。
「子供はすぐに友達を作れるが、大人になるとなかなか親友はできないもの。しかし、今日はインチョン市のおかげで多くの参加市長と友人になれた。各市のプレゼンテーションを聞いて素敵な世界一周旅行をしたような感じだ。インチョン市長に心から感謝する」とコメントした。13時前に会議を終える。

昼食ではインチョン市長の左横で話をする。通訳は食事をする時間的余裕がまったくないほど、会話をする。
各国の市長は、このあと全員が、韓国の礼装に着替える、初めてあるが似合っただろうか。そのいでたちでバスに乗り、まずインチョン市庁舎へ。1階の写真展を見る、北九州の写真数点やTOTOの製品も陳列されている。それから参加都市市長共同の記者会見、2009年のインチョンエキスポ参加に努力する旨の共同宣言の調印をする。北九州博覧祭のときにインチョン市は参加していただいている。市庁舎には、人口260万人なのに職員は2000人もいない。区役所に重点配置をしている。住民に近いところに定員、予算をシフトさせているようだが、望ましい方向とも言える。事情を調べてみたいものだ。

18時からインチョン市にとって、年に一度の「市民の日記念式典」に参加。市内はひろい、バスで移動するが、人口260万人だけのことはある。控え室でインチョン市幹部と懇談する。再開発で住民の理解をどう得るか、民間の建設会社と市の公益がぶつかるときにどう解決しているか、といった質問を受ける。北九州の女性フォーラムの視察団とここで合流、SEDの視察で訪問していた。
会場の体育館は巨大で、プレショーは華麗である。たくさんの市民がつめかけている。最初に市民表彰があった。いい企画だと思う。

式典を1時間余で中座してホテルに戻る、帰路の対向車線は渋滞している。東京、名古屋のように大都会である。20時半から、夕食会。わっしょい100万夏祭りで北九州を訪問したインチョン市幹部や、アメリカの市長、外交官、インドネシア通の名誉大使らと同じテーブルで歓談する。22時半に終わったとき、昼食、夕食抜きに通訳をしてくれたことに気づく。大変申し訳なかったが、金さんの熱心なサポートで、インチョン市との交流は大いに深まった。インチョン市国際交流部のご高配に感謝したい。
さて、この日は、夜遅くなったが、日本のスタッフと市中心部のプルコギ屋に出向く。日本のどこにでもある焼肉やである。日本からの参加者や若手スタッフと、ハイトビール、キムチで楽しく歓談する。このビールは、黒崎の商店街が大量に輸入し、宣伝したビールで、僕はずっと愛飲している。
この夜、ウリ党の大統領候補が決まった。私の予想とおり若手のチョンドンヨン氏。岡田克也さんと一緒に東京で夕食懇談会を共にしたことがある。インチョン市はハンナラ党の金城湯池。イミョンバク氏への期待が圧倒的に強い。これから年末にかけて、韓国は、大統領選一色になりそうだ。

10月16日(火)
8時、打合せを兼ねてスタッフと朝食。野菜は、日本とそれほど変わらないが、ドレッシングはやや個性的、すいかは甘くておいしい。若松の一級品といい勝負。葡萄は種無しでほどよい甘さ。なしは、20世紀に及ばない。市役所からの新聞記事ファックスに目を通す。風邪薬のせいか、少し眠い。極薄のコーヒーで目を覚ます。
バスで出発する前、20分ほど散歩する。ホテル周辺のお店の看板広告は、すべてハングル。日本人観光客が少ないのだろうか。英語の表示も極めて少ない。ところで門司港レトロの表示はどうだったろうか、観光客の目線に立って、表示しているだろうか、一考の余地がある。松島をソンドと読むが、松が確かに多い。街路樹は異国の地であることをあまり感じさせない。

まず空港周辺の巨大な経済特区を視察。高層ビルの展示室で詳しく説明を受け、眼下の巨大なスケールの予定地を見る。僕から矢継ぎ早に質問をする。衝撃的な開発計画である。この一角にエクスポ2009の予定地がある。韓国の国家的威信をかけたプロジェクトの感がある。欧米の企業誘致や大学の立地に熱心である。しかし、日本の名前が出てこない。日本パッシング(目もくれない意)にならなければよいが。

マッカサー率いる国連軍が上陸した時の記念館に寄るが、展示をあまり見る気になれなかった。朝鮮戦争では、連合国軍や市民に多数の犠牲者が出た。映画ブラザーズフッドが哀しい当時の惨劇を描いている。
湾内の遊覧船に乗って、インチョン市議会の幹部と昼食会。湾内を船はゆっくりすすむ。湾外の映画ロケ地、シルミドは、遠すぎて行けない。インチョンの海には、たくさんの小島がある。かもめが船のすぐ近くまで飛んでくる。日本の団は、僕の日程のため他国より一日早めに切り上げて帰国することにしていた。
船を下りて、飛行場に向かう途中、100年前の日本の銀行が保存されている旧日本人街を視察する。スーパーマーケットの視察では、生鮮食料品売り場を見て歩く。日本の平均的なスーパーより清潔感を感じる。食材は豊富で新鮮だが、価格は、それほど安くない。韓国スタッフは、しみじみ昨今の物価上昇を語ってくれた。
国際空港には早く着かなくてはならない。空港でスタッフの皆さんとお別れをする。7回目の訪韓で、韓国が日本に一番近い国になった。インチョン市の皆さんには、大変お世話になった。インチョン市の繁栄と本市との友好発展を切に願っている。

夜の便で帰国。一路、佐賀市内へ。九州市長会に出席するため前泊する。10時から市長会担当スタッフ、秘書官と夕食を共にしながら懇談する。おしんこうと緑茶の味は格別である。



1998年9月

対米鉄鋼輸出をめぐる韓国政府首脳との会談録                       

1998年9月16日、鉄鋼問題に関して韓国政府関係者との意見交換のためソウルを日帰りで単身訪問した。河明根(ハ・ミョングン)産業資源部資本財産業局長との会談概要は以下の通り、盧建基(ノ・コンギ)基礎素材産業課事務官が同席した。アメリカの保護主義に対抗し日韓共同戦線を構築できないか、という思いである。

冒頭、私より、日本における最近の鉄鋼問題を巡る動向について説明した上で、米国鉄鋼業界のアンチダンピング提訴では、韓国ではステンレス3種(線材、厚板、薄板)についてクロの決定がすでにおこなわれ、現在はH形鋼が提訴されていると承知している。韓国は米国との二国間協議によって解決をはかることが基本姿勢と聞いているが、それでも解決がはかられない場合には、WTOの場での決着をめざすのかと質した。

韓国側は
アジア金融危機後、鉄鋼に対する国内需要が減退し、また伝統的な輸出市場であった東南アジアにおける需要も落ち込む一方で、経済が比較的好調な米国、カナダ、欧州における需要が高まった結果、九八年の韓国の対米鉄鋼輸出は急激に増加した。右に伴い、米国は昨年、韓国鉄鋼製品5品目に対しAD措置をとったが、韓国政府としては、輸出急増という状況は一時的なものであり、米国のように輸入規制措置を乱発することは両国の鉄鋼産業の健全な発展を阻害するものであるとの考えに基づき、七月三十一日、米国に対し二国間協議の開催を要請し、明日(十七日)ジュネーブで二国間協議が行われる予定である。

AD措置は、好ましくない法規と考える。韓国としては、二国間で円満に解決を図りたいが、意見調整がうまく行かず、また、米国のとったAD措置がWTO・ADコードの定める原則と精神に反するものであれば、当然WTOでの決着を考えざるを得ない。提訴に先立ち、これまで政府内で種々の法的検討を行った結果、専門家によると、米国の措置はWTOの規定に反する蓋然性が高いとの判断に至った。

(また、具体的にどの規定に反するのかと質問したところ)

ダンピング・マージンの算定がWTOのADコードの規定に反する点を発見している。次に、過剰設備問題について、米国の「鉄鋼アクション プログラム」によれば、韓国は「過剰設備を後押しする不公正な慣行の排除」を求められているが、これに対しどのように考えるか質したところ、先方は以下の通り述べた。

米国の指摘を具体的には承知していないが、そのような事実はないと判断している。

同じく、米国の「鉄鋼アクション プログラム」において、「鉄鋼業の過剰設備に関するハイレベルな国際協議」の開催が呼びかけられているが、韓国としてはどのように対応するのかと質問したところ、


米国は、過剰設備問題に関する多国間協議を提案しているが、韓国としては、主要生産国の官民の代表で構成する場での協議に反対はしない。ただし、同問題は、輸入規制や個別の産業保護といった米国の利害関係のみの問題ではなく、バランスのとれた協議が必要である。主要鉄鋼生産国の政府及び民間関係者が共同で参加する場において鉄鋼問題を含む幅広い議論の中で扱われることが望ましいと考えている。また、米国が提案している多国間協議が、既存のOECD鉄鋼委員会とどのような差別性を持って運用されるのかについても慎重に検討するべきである。日本と共同で対処したい。

米国は右フォーラムの参加者のレベルを審議官・局長クラスとすることを考えているのではないかと推測している、日本としては、問題の本質から見ても米国とバイで話し合いを行うよりはマルチの会合で話し合いを行うべきとの立場であり、もしそうなれば、当方の思いとしては、立場が同じである韓国と協力しつつ対処したいと述べたところ、

米国提案の具体的な中身については承知していないが、いずれにせよ、対米鉄鋼問題については、日韓両国は立場が一致しているので、今後、関連情報の交換や緊密な協調を通してお互いに共同歩調をとっていきたい。九九年一月に訪米以来、米国と協議しているが、不当な輸出規制は、好ましくない。

米国では、政治的要因が影響している。

対米鉄鋼問題については、日本と韓国は、同じ船にのっている。


「同じ船に乗っている。」この最後の言葉にうなずき、一路金浦空港へ引き返した。まもなくワシントンに今年2回目の訪問が控えている。