エピソード
2001年12月19日(水)
横路グループの結成をどう説明するか
午前中は、受験生の息子の進路相談、ことわが身のことにかかわると頭を抱えてしまう。家内からたっぷりと状況説明を承る。日ごろかまってやれなかったつけは、大きい。
一年間の書類整理を開始する。まずは1時間程度、相当の資料がたまっている。焼却炉が使えないのは、こういうとき大変不便だ。高価な新日鉄製の家庭用焼却炉を持っていたが、ダイオキシン規制のためすでに廃棄している。ヤギが一、二頭ほしいものだ。
地元財界人と、最近の政治経済情勢について意見交換する。ペイオフの解禁問題が、政局の導火線になりうるとの持論を述べる。民主党の左派の派閥結成のニュースの解説を求められ、答えに窮する。結党から3年半、転換期にさしかかっている。
電力ユニオンの研修会で講演、テーマは政治と規制緩和。どちらも難しいテーマだ。来年は、エネルギー国会になると思う。懇親会の席上で世良市会議員と10区の候補者選びについて意見交換、また、若松の古賀県会議員とゴルフのスイングについてワンポイントレッスンを受ける。さすがは達人、解説は明快だ、フォームはともかく、背骨の軸をしっかり安定させることが鍵という。民主党幹部も一緒に聞いてほしかった。
12月18日(火)
商工中金、環境事業団は慎重に
政調会で来年のワーキングチームのありかたについて意見交換。経済産業部門としては、エネルギー、中小企業、浜岡原発事故対策委員会、繊維産業対策などの継続を申請し、認められた。
今年最後のネクストキャビネット。2時間ばっちり、論議する。特殊法人改革では、意見が割れたが、基本方向は、原案を承認するとの方針がやや強引に決められた。僕は不満である。議論を集約する過程は、慎重にゴールをめざすべきだ。商工中金の出資引き上げに僕は、慎重論を唱えた。また、環境事業団の早期民営化は、地元のPCB処理対策の円滑な実施を念頭において対処するよう求めた。セーフガード・WTO対策プロジェクトのスタートが再確認された。終わってから、鳩山代表に会い、愛知万博の民主党応援団の本部長就任を要請した。
金融情勢について財界人からヒヤリングを受ける。
新年挨拶の原稿を書き送る。僕のモバイルパソコンは快適だ。ここ10年来、このマシーンは、最高のパフォーマンスと思う。原稿を打ちながら、やっといいマシンに出会えたと満足している。
それを抱くように飛行場に、深夜、西鉄バスで帰宅する。このバスは、早い、1000円は安いとの評判だ。自宅で2時までたまった新聞雑誌を読む、付き合ってくれるのは、庭の愛犬ハチだけだ。今年の経済白書は、コンテンツはともかく読み応えがある。暗いニュースの氾濫にはうんざりする。歴史は、進歩しているのだろうか。
12月17日(月)曇り
山口の研修会に
山口県に仲のいい議員団で集まって、来年の政局を占う。大胆な予測、戦略も飛び交う。2002年は、間違いなく乱世だ。鉄鋼などの企業再編もどこまで進むのだろうか。
北九州へ戻って、黒崎友誼労組の忘年会に。今年も大変お世話になった。
それから、青年会議所の忘年会に参加、今年の卒業生にお祝いを述べ、杯を交わして退出、最終便で上京する。飛行機の中ではアルコールが本当に良く回る。朝までぐっすりやすめた。
12月15日(土)
北健会、28会は楽しかった
やっと東京日程を終えて北九州に帰る。助信議員と一緒に山本議員のお見舞いに。包帯姿は痛々しいが、無事快方に向かっているとのことで一安心はした。
若手企業人との懇談会である北健会で、40分間、政局と経済情勢について報告する。そのあと久保さんのアドリブの司会で懇親会に。いろいろ注文を承る。中には若干シビアなことを言われるメンバーもいるが、率直に言って、ありがたいと感ずる。同じ船に乗っていただいたのだから。これから2,3年間の荒波の中を、自分を含めてメンバー全員が勝ち残ることを切望してやまない。同世代が中心の会だが、みんな一様に人生最大の正念場に直面していると感じる。
このあと青年会議所同級生の28会に。盛り上がる、盛り上がる。ついていくのが大変だ。2次会でRUNを歌った。下手は下手なりに、腰をねじって声を絞り出して歌う。実に愉快で楽しい会である。
帰宅して、次男と映画パールハーバーを見る。機銃掃射の奇襲シーンはややショッキングだが、名画と思う。
12月14日(金)
金融庁トップに生保労連三役と一緒に面会に出かける。超低金利政策の犠牲になって久しい生保。将来の生活設計に生保の経営安定は欠かせない。
帰北して、真っ先に山本議員の出身母体にお見舞いによる。
そして新日鉄八幡労組顧問会議に参加。宮田義二先輩をはじめ歴代組合三役が出席する会で、よもやま話に花が咲く。ハイライトは、参加者全員による近況報告である。退職後の生き方は、それぞれ聞いていて味わい深い。
12月12日(水)
愛知万博の要請を受ける
朝は、財務金融部門と税調役員会に合同会議から。労金の現状について旧知の濱本理事長からヒヤリング。石油労連と石油公団の件で意見交換。道祖議員が熱心に取り組んでいる飯塚市の電子政府構想についてヒヤリング、エネルギーと環境を考える会との意見交換。日本国際博覧会に関する要請を党本部で受けた。党本部としてのバックアップを民主党愛知県連から要請され、最善を尽くすことを当方から応えた。ちなみに博覧祭は、経済産業省が担当している。終わって金融問題で勉強会。ペイオフは予定とおり解禁されるか、金利はどう推移するか。
夜は、九州出身の全郵政幹部との意見交換、九州のよもやま話など共通の話題に花が咲き、おおいに盛り上がる。その後、議員会館で積み残した仕事を12時まで続ける。山本議員は眼の手術をするとの秘書からの連絡。成功と全快を祈ってやまない。
12月11日(火)
山本慎吾中間市会議員重傷の報に衝撃
朝一番、地元の家内から電話があった。友人の山本慎吾市会議員が昨夜遅く暴漢に襲われ重傷を負ったと今ラジオで聞いたという。この知らせに驚愕する。そして犯人に対する怒りがこみ上げてきた。東京は、金曜まで予定がびっしりなのでお見舞いにいけないのが残念至極だ。犯人早期逮捕を切望する。
さて、中小企業庁金融課から商工中金など政府系金融機関の改革について突っ込んで意見交換する。生保労連来室、地域金融に関する金融庁からのヒアリング、財金・経産・行革の合同会議で特殊法人改革の討議、NC、両院議員総会、マスコミとの懇談。夜は、政治顧問を拝命している新日鐵労連の忘年会に。
野村秘書から、電話で山本議員は意識がしっかりしており、しゃべれると聞いて少し安心した。
12月10日(月)
武智市会議員の通夜に
今年の風邪は恐ろしい。高熱は出ないが、くしゃみ、鼻水が止まらない。治るのに時間がかかる。風邪が抜けきっていないので、厚着をして出発。
年末のあいさつ回り、陳情のヒヤリング、片岸さんの告別式など寸暇を惜しんで回る。八幡法人会から恒例の税制改正要望を受け取る。早く、政権与党に回りたいものだ。税制の問題を考える時は、しきりにそう思う。夜は、時間がタイトではあったが、武智市会議員の通夜に寄ってから、最終便に飛び乗って上京する。
遺影は大変印象的ないいお写真だった。
12月9日(日)
肝臓移植への支援コンサート
朝は、光貞台のグランドゴルフ大会へ。11時から直方の大島市議紹介でオーストラリアでの肝臓移植手術を待ちわびる直方市の吉田一美さんを助ける会へ。高田工業所研修センターで津軽三味線チャリティーコンサートを開いた。一言激励の挨拶をした。
12時からの第4回の北九州市手話フェスティバルへ、小倉市民会館は満員であった。
小嶺台つどいの家に囲碁同好会忘年会と総会に遅れて参加。
今日は有力者の訃報が入ってきた。武智市会議員とロータリアンの片岸社長。通夜にでるため、盛貞人士さんを囲む集いは申し訳ないが欠席した。片岸社長は、昨日直方のロータリークラブの総会に出席、万歳三唱を最後に倒れた。ご冥福をお祈りします。
12月8日(土)
民主党福岡9区の大会無事終わる
朝、東京からジャスで北九州空港へ。天気のいい日は本当に便利な空港だ。
今日のメインイベントは、民主党福岡9区の大会。幹事長が県連の事務局長に就任した江島さんから泊さんにバトンタッチされた。
大会前に地元の有力社長から、トラック関係の規制緩和について状況説明を受けた。規制緩和は、運輸の世界で大変立ち遅れている。
大会のあと懇親会がなごやかに開かれ、来賓を招いて、久しぶりに2次会に僕も街へ繰り出した。
12月7日(金)
与野党を超えた再編はありうるのか
8時から予算編成方針、経済産業諮問会議の経済見通しについて勉強会。経済産業委員会の閉会手続き予算委員会の閉会手続き。終了後予算委員会の打ち合わせ、中部電力から浜岡原発の事故についてのヒヤリング政策投資銀行からヒヤリング。
代議士会、本会議。16時から国税職員要求貫徹中央総決起集会が日比谷野音で開催され、激励で駆けつける。今年こそ手ごたえのある結果を期待している。
やはり言ってみるものだ。農水省からファックスが届いた。先日の委員会質疑で僕がほえまくった問題で農水省が善処を決めたのだ。うれしかった。
夜は、有志議員による懇談会。与野党を超えた再編はありうるのだろうか、分からないが、そうなればいいなと思う。
12月6日(木)
久しぶりに友愛会館へ
8時から財務金融部門会議でエンロン破綻の影響などで勉強会に出る。10:30から浜岡原発事故対策委員会、続いて経済産業部門会議、規制改革案について延々と議論が続く。
福岡県市町村職員年金者連盟の陳情もこのため秘書代理。代議士会、本会議
14時からダンススポーツ推進議連に。15:00からNC。
夜は、民社協会と政権フォーラムの懇談会が友愛会館であった、なつかしい気分になる。中座してエネルギー政策フォーラムへ。エネルギーの専門家と3時間デイスカッションする。
12月5日(水)
科学技術政策研究会が設立へ
8時から経済産業部門会議。石油の自主開発をやめるかどうかについて大議論になった。
このため、どうしても出たかったボーイスカウト振興国会議員連盟は秘書代理にして討議を続ける。
9時から経済産業委員会で質問、今年最後の質問で40分間頑張る。狂牛病関連の繋ぎ融資の問題で朝からほえる。健保組合の全国大会に激励のため参加、紹介を受ける。
全国都市公園整備大会(砂防別館)は秘書代理にして、14時過ぎから有志議員51名の参加による科学技術政策研究会の設立総会へ。会長の川端議員のもとで事務局長を務めることになった。
夕方は有志議員でエネルギー基本法の勉強会。かなり突っ込んで論点について意見交換ができた。
夜は生命保険と最近の金融情勢について懇談。
12月4日(火)
雨降って地かたまるか
8時から、予算・財務金融の勉強会、代議士会では造反議員の処分について若干の意見表明があったが、大方の国会議員は幹部会の決定を妥当な措置だと受け止めた。
短い本会議。15時からNC、ぎりぎりと各テーマについて議論をつめる。夜は、マスコミの幹部と懇談。イギリスのブレアー政権の最近の動向やヨーロッパの政治潮流についても有益な示唆を得る。マスコミには数少ない良識派の典型のような方である。
12月3日(月)
処分をめぐって議論が続く
予算委員会に4時間すわり詰め、テーマは金融問題。
終わると中小企業の金融問題の勉強会、合間を縫って造反議員の処分をめぐる意見交換。けじめはつけるべきだがと思案しつつ、党内論議に加わる。
夕方、民社協会の役員会に今年たしか初めて参加する。地方議員のために何ができるか、どういう政策テーマを協議するかについて議論する。
明日の10時には、処分の結論が出る。
11月29日
金属鉱業政策推進会議と霞ヶ関へ
朝は、たばこ政策議員懇談会でタバコ税増税の反対に向けた勉強会に参加。日比谷公会堂で開催されたNOSAI事業推進大会に出席、議員紹介を受ける。
本会議を抜けて金属鉱業政策推進会議総会(憲政記念館)で挨拶して国会に戻る。
川端議員主催の科学技術政策研究会に参加、ゲストの東レ会長の有益な講演を聞く。中座して、非鉄金属労組の陳情要請に同行して経産省に出向く。定例のNCは後藤議員に任せて、次は、財務省の主計局長に面会する。時間との競争だ。資源、非鉄金属の政策課題の推進を強く要請する。
夜は、連合議員懇、新日鐵堺労組結成40周年、全国中小小売商サミット懇親パーティーなどは残念ながら欠席して、勉強会に参加した。
11月28日
産業空洞化問題で意見交換
8時から、経済産業部門会議の朝食懇談会。話題は、期せずして産業空洞化の問題に。経済産業委員会のメンバー15人が自説をがんがん述べる。
亜東関係協会交流協会の晩餐会、東大生ゼミのメンバーと在日外国人の地方参政権をめぐる懇談会、最後は有志議員の懇談会、ワイングラスを片手に、学者、マスコミのメンバーと自由に意見交換。
11月27日(火)
造反20人、事後承認賛成へ
構想日本から株主代表訴訟制度についての提言を聞く。福岡県トラック協会の役員が来室、軽油引き取り税、環境対策など政策要請を受ける。経済産業部門会議には、20人の議員が参加。テーマはたくさんあり、1時間半を越える。
昼飯は、中庭でとんかつのランチ、610円、7分で食べて代議士会へ。懸案の自衛隊派遣の事後承認の本会議だ。鳩山代表が一言一言かみしめるように、賛成の根拠を訴え、所属議員の結束をアピールした。しかし3人が反対の意見を述べ、しらけてしまった。結局20人の造反者が出て、採決は終わった。ぎりぎりの討議をへての結論であっただけに、残念な状況となった。
本会議のあと、予算委員会の打ち合わせがあり、来客応対に追われる。15時から定例のネクストキャビネット。浜岡原発事故対策委員会の設置が承認される。シックハウス対策の議員立法などが承認される。PKO法の改正に賛成する方針も決定された。造反者を多数出した直後の会議ということもあり、議論は活発に行われなかった。
終わって電力ユニオンとエネルギー政策全般について意見交換。
鉄鋼労連三役と鉄鋼フォーラムとの懇談会に急ぐ。
日本の製造業を守るための国家戦略をどう構築するか、それぞれが自説を述べた。世界の工場になりつつある中国との関係について話がはずむ。
11月26日(月)
寒風にめげずグランドゴルフを
朝、奥洞海地区の後援会主催でグランドゴルフ大会が盛大に開催された。ところが、運の悪いことに寒い風が吹き荒れる悪天候になり、年配の方が多いだけに最悪のスタートである。ところが、たくさんの方が参加していただいた。こんなにうれしいことはない。政治活動にとって最大級の励みとなる。しかも途中から雲が晴れ、青い空から暖かい日差しが差し込んできた。本当に良かった。
それから、地元の後援者周りを終日続ける。訪問先のどこでも景気の落ち込みが話題になる、深刻な経済状況を痛感する。
夜、黒崎副都心開発の忘年会が、新装オープンの井筒屋の人気レストラン、菜食健美で盛大に開催された。各界各層のリーダーが一同に会し、高田商工会議所会頭や末吉市長を囲んで大いに語り合う。中座して電車で博多へ、飛行機で上京。
今日一日でお茶を20杯飲んだせいか、おなかいっぱいで床についた。
11月25日快晴
今年も全国夢マラソン大会へ
朝、全国夢マラソン大会の開会式に出席。会場の若松グリーンパークは爽やかな青空のもと千数百人の参加者の熱気が式典の肌寒い冷気を吹き飛ばした。知的障害のある方々がボランティアの伴走者と一緒にマラソンに挑戦する、今年で五回目。来賓代表で激励の挨拶の機会を得た。感動的なイベントだ。
昼から新日鐵八幡労組の機関誌熱風の新年号収録の懇談に参加した。冒頭の宮崎組合長の鉄鋼情勢の認識は、誠に厳しいものだ。韓国からの鋼材輸入も国内市況が値崩れしているため、途絶えているほどだ。品種別、企業間の再編もすすむ。春闘は定昇完全実施は当然だが、雇用を再優先しベアは見送らざるをえない状況。これを受けて職場のリーダーが現場の声を代弁する。満期者の再雇用の試行実施のありかた、新規採用の再開、病院スタッフの確保、将来の日本社会の姿、構造改革の見通しなど話題は多岐におよぶ。
電車で博多へ、民主党の県連の幹事会だ。幹事会体制について合意をえる。
終わって豊沢、古賀県議と南大門で焼肉をつつきながら意見交換。連休3日間、地元回りで日が過ぎた。
11月24日(土)連日の快晴
頑張る福祉ボランティア
地元の塔野で社会福祉協議会主催のふれ愛まつりが盛大に開かれた。今年で6回目。毎年参加している。昨日に続いて最高の天気だ。小学校の校庭は、凧上げと出店で賑わっている。校庭が工事中かと思ったのは、とんだ間違いだった。砂のオブジェと書いてある。塔野小学校出身の野村秘書と一緒に豚汁を食べる。これが塔野名物である。ここも少子化で2クラス編成になっている。
午後、胡桃の会の座談会にゲストで呼ばれ、家内と一緒に出かける。医療改革、教育問題に話題が集まる。医療費の負担増はどこまで増えるのか、薬代をどう節約するか、家庭のしつけがなっていない、さらには、田中さんだからこそ外務省改革がここまで進んだのではないか、など次々と意見が出た。家庭の主婦ばかり十数名との政治四方山話だ。主婦の率直な意見は、大変参考になる。どんなに高名な学者の説よりも大切に受け止めたい。
知人のお見舞い、そして本屋へ。「白い犬とダンスを」が、今、癒やし系の作品で人気が高いらしい。
時間があったので、喫茶店へ。メニューにはブレンド、エスプレッソ、カプチーノ、カフェラッテと続く。カフェラッテとは耳なれない、早速これを注文した、何のことはない、カフェオーレだ、どうも流行語に遅れがちだなと思いつつ、念のためお店の人に聞いた。エスプレッソとミルクのブレンドで、カフェオーレとは違うとのこと。そう言えば、確かに味が一味違う。まいった。やはり時流に遅れているなと感じる。
夜は、福祉大納会。北九州の福祉関係者が一同に会し、連帯の絆を強める。福祉ボランティアの田代さんの紹介で、6、7回目の出席だ。この会でいろんな活動家に出会った。苦労人が多い。みんながんばりやだ。谷美術館長の乾杯の音頭で会が始まった。福祉の最前線で活躍する皆さんの交流の場である。
帰りは、小倉から折尾まで電車だ、がらがらだった。公共交通の利用度が低いのは、時間帯だけではない、21世紀は、環境の時代、もっと電車を使ってはどうかと思う。
11月22日(木)晴
自衛隊派遣の事後承認は賛成したい
朝早くふとんをほすが、2時間では、満足が行くほどかわかない。単身赴任者の泣き所だ。WTOの会議で、外務、農水、経済産業の各省からヒヤリング。農業の過保護から脱しない限り、通商政策の前進はないと思うが、自民党の農林族のすごみには定評がある。都会出身議員がよほど頑張らないといけないと思う。
財務省の主計局、総務省の幹部に支援団体の定員増ならびに地元予算の要請に行く。公共事業担当主計官には3号線バイパスの早期完成を求めたが、構造改革のご時世、何となく雰囲気が例年と違う。
行政改革・規制改革部門と政調会長を相手に、石油公団の廃止案について協議する。つまるところ、自主開発を続けるかどうかの判断だ。来週決定する方針である。本会議では、国連平和維持活動法案の改正が質疑された。
ネクストキャビネットでは自衛隊派遣の事後承認について賛否両論が出たので、案件の重要性も考え、鳩山代表に対応を一任することにした。僕の担当のエネルギー基本法について中間報告を行った。幅がある政党だ。いろんな意見が出た。
帰北する。
与党、首相は、道路公団など7特殊法人の改革で合意したが、結局、小泉さんは、行政改革でも抵抗勢力に押し返された感じだ。石原さんも、まったく精彩を欠いている。11月20日の小泉、自民党幹部との密室極秘会談で妥協案が決まったという。菅さんは、おおうそつきと批判している。
ヤコブ病和解の話し合いが始まる模様だ。今日の一番いいニュースだ。
11月21日(水)
デンマーク社民党の敗北
8時から経済産業部門会議。エネルギー問題の議論をする。9時から、15時まで経済産業委員会で中小企業金融支援の法案審議、いづれも全会一致で通過した。
シンクタンクの構想日本の方から、初めて始めて話を聞くチャンスをえた。エネルギー基本法について、縦割りの官僚主導のエネルギー政策を転換し、市場メカニズムを重視する方向について意見交換をした。
小泉さんは、自民党に押されて、4兆円の第二次補正を容認した。国債30兆円の約束を守ったと言うが、国債償還に当てるNTT株売却益を財源にしており、ごまかしと言われても仕方がない。従来型の公共事業の追加になるかどうかが、焦点だ。
デンマークで社民党(日本では、旧民社党、社会党右派にあたる)が敗北し、右よりの政権に変わることになった。移民問題で世論に迎合しなかったことが敗因と言われる。日本でも、在日外国人の人権問題が問題になっている。そういえばオーストリアもひどい右翼政権だ。世界同時不況の到来が背景にあるのだろうか。イギリスのテレビは、アメリカ人が銃を買い求め、自分の身は自分の手で守る最近の傾向を特集していた。
狂牛病の牛が北海道で発見された。重大な事態だ。今夜は、秋刀魚をおかずに選んだ。
11月20日(火)
中小企業金融対策の現状は放置できない
経済産業部門会議からスタート。個人保証の制限、破産法改正について、議論を集約し、議員立法の方向について合意を得る。税関労連の田中議長が推薦状を持参していただいた。ダーバン報告会に出席、都市基盤整備事業推進大会、国税労組の集会に出席。
15時からネクストキャビネット。国連平和維持活動について一定の合意ができたように思う。
日本焼肉協会の首脳が、大阪の吉田治前議員の紹介で訪問された。狂牛病対策の緊急融資対策がスタートしているが、現場ではほとんど審査で却下される現状を知った。中小企業庁長官に連絡し、善処を求めた。
夜は、全国商工会議所役員・議員大会、古賀一成フォーラムIN東京、川内博史君を励ます会を回って、同窓会の勉強会、テーマは通商問題、政党内では、聞けない貴重な見解を学ぶことができた。
11月18日(日)
八幡製鉄所100周年
八幡製鉄所100周年のパーテイが、2000人の参加者で盛大に開催された。僕も鏡割りのメンバーに加わていただいた。お世話になっているたくさんの企業人に会うことができた。鉄鋼情勢は、今、悲惨な状況だが、この日ばかりは、それを忘れてみんな楽しくお祝いのひとときをすごせた。呉、門司との誘致合戦をしのいで、官営製鉄所が八幡に誘致された。100年のフィルムは、信じがたいほどの街の変化を記録している。100年後、どんな製鉄所に発展していくのだろうか。
真夜中に愛犬のはちが激しく吠え出した。流星を見学する人を怪しんだらしい。おかげで夜中の2時過ぎに、目がさめて、たくさんの流星を見上げることができた。はちのおかげである。翌朝、頭をなぜてやった。
11月17日(土)
八幡東区国政報告会は盛会
八幡東区の国政報告会がレインボープラザで、約400人の後援者のご参加をいただいて開催された。出にくい時間帯に三島後援会長はじめこれだけのみなさまにお越しいただき、感激した。小泉さん、田中さんをどう評価するか、日をおってむつかしくなってきた。今は辛抱の時か。
18時から、八幡労組顧問・歴代組合長の方々との懇親会に招かれた。宮田義二顧問をはじめ、先輩はエネルギッシュでお元気である。
途中で退席して、ボーイスカウト北九州西地区の育成会長・団委員長会議に参加、第3団育成会長の大島中間市長の祝賀会で祝辞を述べた。僕は、ボーイスカウト議連のメンバーである。スカウト組織の発展を願ってやまない。それから、八幡労組首脳との2次会に急いだ。北九州の政治活動の将来について意見交換をする。宮田早苗代議士の初陣からもう30年になる。政治活動を今後どう進めるか、転換期にさしかかっている。
いよいよ明日は八幡100周年である。
11月16日(金)
狂牛病の連合審査、安全宣言にはほど遠い
狂牛病の問題で農水、経済産業、厚生の連合審査があった。飲食店などへの影響は深刻である。僕から、質問者の中山議員に要請していたのは、焼肉やなどへの支援策について、中小零細事業所のみならず、比較的売上の大きな事業者も対象に加えることで、前向きの答弁が引き出せた。病死の牛が16万頭もあり、未検査で肉骨粉にされていた問題が論議された。安全宣言は、かなり先になりそうだ。
午後は、本会議で政府と民主党からそれぞれ提案された雇用対策の法案の質疑があった。規制改革の資料を読む。エネルギー関連の作業は容易ではない。夜、帰北する。
11月15日
タリバン政権は崩壊へ
8時、県知事、各部長と地元選出国会議員との朝食会からスタート。あいにく時間の重なったネクストキャビネットと経団連との懇談会は、後藤総括に代わってもらった。県知事の説明した地元経済の現状は、深刻さを増している。それだけに地元関連予算の獲得は重要だ。
ネクストキャビネットで、中小企業金融関連法案への賛成を提案、了承される。あわせて民主党の中小企業金融支援の議員立法の検討状況を説明した。僕は、原子力発電擁護派だが、浜岡原発の事故には、うんざりしてしまう。昨日の民主党現地調査団の報告を鈴木議員から聞く。徹底調査が必要だ。民主党内に事故調査委員会を設置することにした。与党提案のエネルギー基本法案、コーポレートガバナンスについて見解をまとめることになった。沖縄振興策が了承された。テロの影響による観光客の激減で困っている中小企業救済でもっと手厚い支援策を考えたかったが、合意が得られなかった。
民主党部落開放推進委員会で司会をつとめる。法務省と民主党チームから、人権侵害救済制度の法案作成状況をヒヤリング。内閣府に人権擁護機関を置き、地方自治体にも設置できるかが焦点だ。続いてダーバンの国連会議の報告があって意見交換をおこなった。欧米先進国は、パリ宣言にもとづき国内の人権擁護機関を整備している。日本は、人権では発展途上国だ。
帰宅して、BBCテレビでイギリスのブレア首相、アメリカのチェイニー副大統領がタリバン政権の崩壊を公式に認めていた。ブレアはいつも雄弁だ。これからゲリラ戦になるのだろうか。国連は、多国籍軍の展開を決議した。
11月14日
鉄鋼労連議員団会議の研修会へ
8時から、経済産業部門会議。田中、平田理事から委員会報告。浜岡原発事故調査団をただちに現地に送ることを決定、大畠、藤原、鈴木議員がただちに出発した。山田議員から、個人保証問題について報告。経済産業省から石油公団のありかたについてヒヤリング。規制改革の論議のすすめかたを相談する。
終わると関西空港へ出発。鉄鋼労連議員団会議(124名)の研修会に会長として参加する。今回は、鉄鋼議員団会議のメンバーと鉄鋼労連役員あわせて74名が参加。活発な議論が行われたが、交流会を中座して関空から帰京。
カブールの市民の表情は、テレビで見る限り、明るい。空爆による一般市民への誤爆が伝えられていただけに、気持ちがやや安らぐ。タリバンが敗走して民衆は音楽を聴ける、ひげをそれる、女性の抑圧が和らぐ、これらはいいことだ。しかし、治安は大丈夫か、政治の空白は、いつまで続くのか、タリバンへの追撃は、パキスタンなどを含めた後継政権作りは、目を離せない。
原告25名がすでになくなっている薬害ヤコブ病訴訟で東京地裁は、国と製薬会社に責任を認める見解を示し、患者との和解案が提示された。国が承諾しなければ、患者は来年3月まで苦しめられる。薬害の根絶は、焦眉の急である。国と製薬会社は、和解に応じるべきである。
中国大連からの船のコンテナに隠れていた中国人10人が、密入国で逮捕された。この種の事件は、後を絶たない、深刻な問題だ。
11月13日(火)
9時間の予算審議後、採決は反対へ
アメリカの飛行機墜落の朝刊を見ながら、宿舎の食堂で朝食。なぜこんなことがおこるのだろうか。グラグラしながら、国会へ。8時半、補正予算の賛否を論議する会議の後、予算委員会にかんづめ。民主党は、昨今の厳しい経済情勢から雇用、中小企業を守るには余りにも不十分として反対を確認した。
昼のニュースで、北部同盟がカブールを制圧したという。タリバン崩壊後の政権構想で、パキスタンなど隣国の納得する合意ができるまでは、アメリカも北部同盟のカブール進軍に慎重と伝えられていたが、今後の展開が注目される。
ネクストキャビネットで、補正関連の中小企業支援法案の中間報告をし、了承をえた。道路公団の改革について議論を闘わせる。一部の反対を押し切って、道路整備計画の一時凍結が決定した。特殊法人改革で小泉さんの後ろを歩くわけにはいかないからだ。
委員会採決後、経済産業省からの意見交換、上京した連合福岡の中村事務局長と懇談した。
7時半から衆議院本会議、各党の演説討論を聞いて、採決。長い一日が終わった。帰って、カブール情勢のテレビ報道、とくにBBCの STRIKE
ON AFGHANISTANGAN のニュースに食い入るように見る。ブレア演説、カブールへの突撃取材、日本のチャラチャラ報道とは違う。政治的空白を懸念する。ビンラデインは、一体どこに逃げ込んでいるのか。戦争状態を一刻も早く終わらせるために、アルカイダの早期壊滅が待たれる。
11月12日(月)
終日、小泉総理と一緒
議員会館に入ると、水巻町長選挙の当選結果の知らせ、本当に良かったと思う。
9時きっかりに予算委員会で補正予算の審議が始まる。僕の席は、質問者のななめ後ろ、国会テレビに映る席で、あくび、居眠りは厳禁だ。一番手の自民党の質問レベルには唖然とする。党内では、あれだけ借金をして大型補正をやれと、大合唱をしているのに、国会での発言は、意味不明だ。テレビカメラの前では、小泉さんにぶつかれないと見える。今回は、僕の出番はない。総理や大臣の答弁を8時間も聞いた。国政の最前線でみっちり学習している。
小泉さん、しお爺の財政の規律を守る姿勢は、民主党として大いに評価できるが、過去の非効率な予算の見直しを避けている点は問題だ。
夕方から、生保労連の勉強会。超低金利政策の犠牲で生保の経営環境は厳しい。国民の将来不安を払拭し、自立自助の生活保障手段を安定化させるために、知恵をしぼるべきだ。
11月11日(肌寒いが快晴の日曜)
携帯はクリエにする
朝、福祉施設の相談を自宅でうける。えらく部屋が綺麗になっている。これもお客様がこられる効用だ。
楠橋の敬老祭、戸畑のOB会は盛会だった。鞘ヶ谷公民館の文化祭では毎年のように婦人会手作りのうどんを食べて帰る。今年もにぎわっている。入江後援会長代行のご自宅にご挨拶に立ち寄る。
今日は少し時間ができたので、パソコンショップに寄って携帯端末機をみた。パソコンはバッテリーの制約で持ち歩けないので、今、流行の携帯端末機を物色していた。普段ソニーのバイオを愛用しているので、思案の結果、クリエを買うことにした。帰宅して一心不乱にマニュアルを読みながらミニマシーンに慣れる。子供が新しいおもちゃを手にしたときとまるで同じと言われても仕方がない。技術の日進月歩には驚かされる。
夜は、久しぶりに家族そろって夕食だ。と言っても、子供は、テニスの部活、塾から帰ってきてそれぞれ入れ替わりでテーブルにつく。おかずは、僕の希望でとんかつ、豚汁、こまつなの煮つけ、野菜サラダ、豆腐。新米のせいか、大満足のメニューであった。一服して折尾駅に出発、電車、飛行機を乗りついで上京だ。九段の宿舎到着は、11時半、CNNを少し見て就寝する。カブールに北部同盟が迫っている。どうなるのだろうか。
11月10日(土)
水巻町長選挙の応援に
国会開会中は、原則として土日しか地元にいないので、帰ると、相談ごとがたくさん待っている。先輩議員の中には、お座敷からお呼びがかかっていいねと言う。その合間をぬって、水巻町長選挙の応援に出かける。助信県議、岩本参議院議員と一緒に、街頭で民主党の推薦する田中候補の応援演説をする。
地元福岡9区の幹事会で政策問題で各級議員団と意見交換をする。アフガニスタン難民支援のNGOへの義捐金を送ることを決めた。難民の医療活動で知られるペシャワ−ルの会の中村哲先生について、民主党として参考人の国会出席で推薦したことを報告した。
夜は、宿場町コンサート、そして友人との懇談会、楽しくワインを飲んだ。
11月9日 東京は雨
この補正予算で国は良くなるのか
今朝の一番は、8時からのメガフロート早期実用化議連の総会。造船、鉄鋼の労組代表と造船工業界の方との意見交換だ。かつて僕も国会でメガフロートの採用を運輸、通産大臣に迫ったことがある。羽田空港での採択が当面の目標だ。
10時から、経済産業部門会議。補正予算関連法案のヒヤリング、また、部門会議の役割分担を決める。このあと、経済省から、地球温暖化問題の動き、アメリカにおける個人保証制度の現状のヒヤリング。エネルギー基本法案の内部検討、地元トラック業界の面談など。
12時30分から、本会議で補正予算の審議が 2時間強行われた。合間をぬって、防衛担当議員と昼飯を食べる。チラシ1200円だ。カレーうどんとともに、国会で一番好きなメニューである。
終わって、予算委員会の打ち合わせ、有志議員勉強会の段取り、そして全閣僚出席のもとで予算委員会が始まった。中身は、50点、この内容では、どうにもならないと痛感する。そして19時の飛行機に飛び乗った。
11月8日
地元パーテイの成功に感謝
法務部会のコーポレートガバナンスのチームに参加。経済産業部門の問題意識を表明する。意見集約を急がねばならない。続いて補正予算に関する打ち合わせ、自分の意見を述べる。
13時から本会議。後藤先生にキャビネットの代理をお願いして、北九州へ。
福岡政行さんの講演は、非常に良かった。小泉さんの今後を占う上で、今後の政局を考える意味でも、有意義である。そのあとのパーテイは大盛況であった。地元の皆様のご支援に心より感謝申し上げたい。
11月7日(火)
税制ヒヤリングで日が暮れる
8時から経済同友会との朝食会に参加した。このため、経済産業部門会議は欠席、後藤総括にしきってもらった。テーマは、地球環境問題。会議が重なることが多すぎる。
それから税制調査会のヒアリングに出る。 鉄鋼連盟から始まり、 鉱業協会、 石油連盟、石油販売、石油化学、ガス協会、 商工会議所、商工会、チェーンストアー協会、フランチャイズ協会と続く。
夜は、焼肉やで懇談会だ。41歳以上で狂牛病にかかった人はいない。しかも今日の店は、安全な輸入牛肉を扱っている。
11月6日(火)
経済産業委員との懇親会で盛り上がる
今朝は、参考人を招いての経済産業委員会が昼過ぎまで。このため、僕の所属するガールスカウト推進議連は秘書代理となった。13時から、本会議、5分の短い時間だ。
終了後、予算委員会の打ち合わせ、科学技術政策研究会の打ち合わせ、米国商工会議所のメンバーと面談、アメリカ人から大変参考になる意見を聞いた。
15時からネクストキャビネット。道路公団の問題をめぐって議論が白熱した。日韓議連は欠席して自動車総連、前・現顧問を励ます会(池之端)、仙谷議員のパーティー、最後は、当方がセットした経済産業委員会メンバーとの懇親会と時間との競争で駆け回る。不景気のせいか、車がすいていた。
11月5日(月)
金属労協の産業空洞化への危機感
午前中に上京、鞍手町の福本町議が上京して議員会館に立ち寄っていただいた。エネルギー基本法などの検討、官邸における最近の動向のヒヤリング、地元の陳情処理をすませて、17時半から、自動車、電機、鉄鋼などの労組でつくるIMF-JC金属労協三役と政治顧問の政策懇談会に出席した。
約2時間のテーマは、もっぱら国内産業の空洞化問題だ。輸出産業の中から、異口同音にこうした強い危機感が表明されたことは、初めてではないだろうか。今後この問題に集中的に取り組んでみたいと思う。
このあと有志議員による勉強会が夜遅くまであった。テーマは、政局である。
11月4日一転快晴へ
博覧祭の閉会式に
八幡の文化祭で、家内のグループと一緒に煎茶の会に参加、作法ははなはだ心もとない。何回も出ていると少しずつ慣れてくるが、足のしびれはどうにもならない。10月28日、神戸で盛大に開催された小笠原流創立85周年に日帰りで参加して以来の茶会だ。
島郷の芋掘りの会、知人の7回忌、友人のお見舞い、県議との懇談、民謡の大会に続いて、博覧祭の閉会式に出席。210万人の入場者に達し、華やかにフィナーレを迎えた。関係者のご苦労に心から感謝したい。
11月3日雨天
文化の日、起業祭へ
起業祭の行事に加えられて3回目のふれあい囲碁まつりの開会式に、入江大会会長と一緒に出席する。僕は、イベントの言い出しっぺの一人にすぎないが、日本棋院の入江社長、高田会長や地元の有力な囲碁有段者、ファンの皆様の力で大きな大会となった。130人以上の参加者で4時すぎまで熱戦が展開された。今後、若い人や女性の囲碁ファンが増えればいいなと思う。近く市の教育委員会幹部に囲碁の振興について理解を求めにいくことにしている。
それから、祭起業祭の事務局に顔を出し、81回を数える八幡製鉄所殉職者慰霊祭に出席する。製鉄所の年間の行事の中で最も大切な式典と思う。白菊の献花をする。終わってから、組協のうどん屋でうどんをすする。なかなかいい味だ。15年目の起業祭だ。
則松毘沙門堂の秋の大祭に出かける。冷たい雨の降りしきる中を、ずぶぬれの修験僧が厳粛な祭祀を進行する。毎年、自宅近くのこの行事に参加している。陳情、ダブルヘッダーの夜の会合、一日が本当に早い。
11月2日
大分労組30周年に出かける
今朝は、サイバーテロの勉強会、そしてドコモの迷惑メール撃退についての意見交換からスタート。続いて、セーフガードをどう考えるかの議論に。小泉政権の骨太方針と民主党の方針についてのレジメを用意する。
昼に、欠席届を衆議院に出して大分空港へ。新日鐵大分労組の30周年祈念式典に参加するためだ。本会議の欠席は、本来良くないことだが、どうしてもやむを得ないときは、欠席届を出し、国対に事前了解を求める。
道中一緒の来賓の鷲尾さんたちと世間話をしながら車で会場まで向かう。空港から大分市内までの道路の整備に驚く。21年前だったか、佐々木委員長と一緒に鉄鋼労連大会に出て、飛行場までパトカーで先導してもらったころがなつかしい。久しぶりに木下市長や、大分製鉄所の皆さんと会えた。2次会を断って、電車で北九州へ帰る。折尾まで1時間半だ。翌朝の会合に間に合うためだ。残念だが仕方がない。
10月31日
朝早くおきて散歩
8時から、定例の経済産業部門会議。中小金融機関からのヒヤリング、厳しい環境に置かれていることがよく分かった。来年4月のペイオフ解禁は予定通りだろうか。
夜は、城島議員の励ます会、盛大だった。乾杯の渡辺副議長の挨拶は天下一品だ。中座して、鉄鋼労連政治担当の加田さんと懇親のチャンスを得た。鉄鋼をめぐる諸課題について認識を深めることができた。健康法で、朝早くおきて散歩することをすすめられたが、思わずうなってしまった。
10月30日(日)東京は快晴
鷲尾さんを励ます会に
朝は、熱海での鉄鋼労連主催のシンポジウムに城島議員と一緒にパネラーで参加。対中国投資、金融緩和、景気回復など今後の政策調査のテーマの重要性を感じた。新幹線で東京へ、車窓から見える皇居前の広場と青空は実にさわやかだ。
本会議に間に合った。エーペックの総理報告に対する質疑だ。終わるとネクストキャビネット。証券税制改正案では、証券市場の透明化対策なくして税制を若干いじって前進と言えるか、雇用景気が深刻さを増す中で、国債30兆円の枠にこだわりすぎないかなどの発言をした。夕刊で失業率5.3%のニュースを見た。心配していたが、いよいよ大変な時代がやってきた。
夜は、鉄鋼労連主催による鷲尾前連合会長を激励する会に出席した。宮田最高顧問はじめ、歴代の鉄鋼労連役員のなつかしい先輩に会うことができた。皆さんとても元気なのが何よりだ。鷲尾さんとは、宮田早苗先生の秘書をしておられたころからの20年来のお付き合いだが、連合会長を引かれたことのは、大変に寂しく思う。でも全労災でのさらなるご活躍を祈念してやまない。
10月29日(月)
製鉄所の勉強会、経済は底割れ寸前か
製鉄所の朝食勉強会からスタート。鋼材の生産、価格の厳しい状況を身にしみて感じる。北九州の環境リサイクル基地は、着実に前進している。地元の港湾、道路建設などの今後の整備状況が話題になる。小泉改革で地方は具体的にどんな影響を受けるのだろうか。以前から、僕も気になっている問題だ。
鉄鋼労連の政策シンポジウムに出るため、新幹線、飛行機、新幹線で熱海へ。駅前も人が少なく、不景気だなと思う。業種別の分科会で現場の状況を聞き、政策の課題について意見交換をおこなう。夜は、歯を考えてお酒を飲まなかったが、こんなことは何年ぶりだろう。金子書記長はじめ役員メンバー、ジャーナリストと11時まで鉄鋼問題で懇談。極めて有意義な会合だった。
10月27日(土)曇り
子供折尾神楽を聞く
朝一番に、かかりつけの石井歯科に飛んでいった。消毒をしてもらうためだが、先生の顔を見て、診察してもらうと安心したせいか、痛みがかなり和らいだ。大事をとって昼前から、地元行事まわりを再開した。遠賀川沿いの河川敷で製鉄所退職者の会の会合に出かけた。素晴らしいコスモス園のそばでお弁当を広げている。遠賀水巻の製鉄所退職者の会が中心になって河川敷のコスモス園を整備してきたと言う。見事な花畑である。さらに広がっていくのが楽しみだ。自宅近所の則松の文化祭りで、はじめて子供折尾神楽の舞台を見た。則松小学校の生徒による踊りと演奏だが、大変良かった。本城の文化祭りでは、久しぶりにもちをついた。八幡西区長さんと一緒についたが、この時は、歯の痛みを忘れて一心につけた。
東京方面と違って、北九州は、地域のコミュニケーションが実にいいところだ。地元の一番いいところではないだろうか。
10月26日(金)
抜歯で不覚のダウン
早朝勉強会は、吉田先生主催の安保センター、講師は、岡本さんだ。小泉さんのブレーンになったので、話しにくかったと思うが、それでも有意義な話だった。経済産業委員会に遅れないよう中座、一般質疑、今回は僕の質問は見送り、理事にまかせた。昼休みに、歯の調子が数日間悪かったので、20何年ぶりに抜歯することにした。終わった後の痛いこと、もうどうにもたまらない。午後の予定を全部キャンセルして、倒れこむように、飛行機に乗って帰宅した。痛くて半分べそをかきながら眠りについた。医者の説明では、ぼろぼろになった歯の残骸を何年も放置していたので、骨と歯が癒着しており、その分しばらく痛みが残ると言うことだった。
10月25日
農産物セーフガード問題でもめる
早朝勉強会で、連合の会長、事務局長から当面する政策で意見を聞いた。それから、雇用創出の具体的目標で事務局と相談、島田提案や平沼プランの根拠のあいまいさをつくだけではなく、民主党らしいターゲットをつめる作業を急ぐことにした。
セーフガード問題プロジェクトチームでヒヤリング、意見交換。終わるころに、参議院農水委員会で、本格発動を求める決議をやるという。両論ある中で、ルール破りだ。地元対策上、やむをえないという。討議拘束をはずし、個人の判断で決議に賛成することを政調会長が黙認したらしい。民主党のいやな側面を見てしまった。
午後は、鉄鋼労連委員長はじめ役員と国会議員のフォーラム研修会だ。あいにくネクストキャビネットで自分の担当する案件があったので、中座せざるをえなかった。セーフガード問題でやりとりになった。日本から3兆円の対中貿易がどうなるかという問題でもある。安易な妥協は、日本経済の将来のためにできない。
10月22日
国政報告会に多数の支持者が
あいにくの小雨、その中を600人の方が、八幡西区の国政報告会にお越しいただいた。感激した。選挙のないときに、これだけのイベントはこれまでやってこなかった。この日は少し、最近の自分の本音が言えた感じがする。
それから西鉄バスで飛行場に、最終便で上京、晩飯は、ご飯が売り切れ、シューマイとちくわだったが、おいしかった。深夜、アメリカのテレビで、炭そ菌の犠牲者のニュースを見た。本当にやりきれない。犯人はなぜつかまらないのだろうか。
10月21日
小雨の日曜日、行事のキャンセル相次ぐ
日曜は、一年中、地元行事で忙しい。身体が一つなので、家内、秘書と手分けをする。八幡南健友会のバスハイクは、僕の日程に合わせて設定されたが、他の行事が多数入り、残念ながら、代わりに、家内と秘書が参加、お詫びを兼ねて見送りに行った。バスの中で、国会質問のビデオを見ていただくと聞き、大変うれしく思う。小雨のため、グランドゴルフ大会は、みな中止になった。今日は、OBのバスハイク、民謡、詩吟の発表会などに参加する。詩吟、民謡の素養は、まったくないが、政治活動を始めて200回以上になるだろうか、何度も聞いている内に、少しづつ良さが分かってきたみたいだ。
一週間の新聞を丹念に読み直す。アメリカの地上戦が開始されている。不朽の自由作戦は、地上作戦に移った。ラマダンというイスラムの聖なる儀式が来月に始まる。寒さが一段とひどくなる。タリバン政権崩壊後の政権作りは、大詰めだ。英米軍にとって時間がなくなってくる。戦闘は、いよいよ激しくなると思われる。自衛隊派遣の基本計画が出来上がるころに、アフガニスタンはどんな状況になっているのだろうか。アメリカ議会、マスコミに対する炭ソ菌攻撃は、陰湿極まりない。日本でこのようなテロ行為が起こった場合に、対策はどうなっているのか、政府に的確な対応を迫らなくてはならない。
10月20日(土)
福岡県連の大会終わる
朝一番に、新日鐵退職者の会の盛大なグランドゴルフ大会が開催された。今日は、年に一度の県連大会があった。異論もなく、活動方針、役員人事など執行部提案は採択された。松本代表、北橋幹事長で続投することになった。
さて、中村哲医師は、パキスタン北西部およびアフガニスタンで医療活動をしているNGOペシャワール会のリーダーである。民主党本部で講演を依頼した時は、名詞代わりに著書をいただいた。さて9月30日、福岡市内で行われた中村哲医師の講演記録を読んだ。考えさせられる。
10月19日(金)
セーフガード正式発動回避は当然
対中国の農産物セーフガードの暫定発動は、11月8日で失効する。これまで政府内部は、正式発動を求める農水省と慎重な意見が混在していた。僕は、10月1日、代表質問でこのような質問をした。
「世界的な保護主義の蔓延を許すならば、自由貿易体制の恩恵を最も受けてきた日本の受ける打撃は、計り知れないものになります。農産物セーフガードの本発動はそのトリガーになりかねません。これを回避しうるよう、わが国の農業再生のプログラムを策定、実行するとともに、秩序ある貿易関係の構築をめざし、中国との外交努力に全力を傾注すべきではないでしょうか。総理の対処方針をお伺いします。」
このあと日中首脳会談で総理は、中国側に、話し合いによる解決を求め、政府関係者にその方針を指示していたと思われる。平沼経済産業大臣が、この日、発動回避の方向で調整を行う方針をマスコミに明らかにしたが、当然のことである。自動車などの報復関税をやめさせる交渉を強力におこなうべきである。
10月16日(火)
党首会談は、なぜ決裂したのか
昨晩遅くの、テロ新法の修正協議は、事前にうまくいくと見られていただけに、残念な結果となった。小泉さんに横槍を入れた政党に振り回された結果と、マスコミはみなそう言っている。新法が衆議院を通ると、自民は、一旦合意した公明との選挙制度見直しを捨てる方針を決めた。結局、新法を成立させるためのジェスチャーだったのだろうか。こんなことをしていたら、この政権は、近く行き詰まる。馬脚をあらわし始めた。
10月15日(月)
高須健友会で国政報告
終日、地元のあいさつ回りだが、今夜の党首会談の行方がきにかかる。突然、ネクストキャビネットの臨時会議が今夕召集されることになった。国政報告の予定を昼の時点でキャンセルできないので、やむなく欠席の通知と、すべてを鳩山代表に一任することを政調会長に伝えた。
高須健友会の国政報告には、たくさんの方に参加していただき、感激した。この時は、修正協議がうまくいくだろうと内心期待していた。電車で博多へ、9時半の最終便にぎりぎり間に合った。新聞で、ウサマの息子のインタビュー記事を興味深く読んだ。空爆の始まる直前、300人の部下と馬で山岳地帯に出発し、数十台のトラックがあとに続いたと言う。民間人を巻き添えにする空爆を早くやめるためにも、ウサマを早く発見してほしいものだ。
11時40分に九段宿舎に帰宅、BBCテレビを見ていると、アラファット、ブレア会談のニュースが流れていた。パレスチナ和平なくして、テロ対策の解決はない。日本政府は一体、中東外交に対して何をしているのだろうか。
また、ブルーバーグテレビで、テロ新法修正の党首会談決裂、民主党反対へのテロップを見て、がっかりした。国会の承認は、シビリアンコントロール
の観点から、防衛政策の根幹にかかわる。小泉さんも、それはよく知っているはずだ。なぜ、拒否したのだろうか。この日は、寝つきが悪かった。
10月14日(日)
頑張れ、近鉄のローズ選手
テレビで、大活躍した近鉄のローズ選手の特集を見た。これまで近鉄には、まったく関心がなかったが、異国の地で日本文化に溶け込み、チームメイトを大切にして頑張って生きたローズの横顔にふれ、一変に僕もファンになった。日本シリーズで頑張ってほしい。
日本人が北朝鮮に拉致された疑いのある問題について、世論が高まっている。東京で今日、大集会が行われた。横田めぐみさんのお父さんが訴えているシーンが放映された。家族や支援者らは、アメリカや国連の人権委員会、韓国で拉致されたといわれる人の家族とも連携をとるという。一日も早い解決を切望する。
炭素菌事件の被害が拡大している。許せない卑劣な犯罪だ。バイオテロだとすれば、日本としても早急に対応が必要だ。テロ新法成立、自衛隊派遣となって、イスラム原理主義過激派の対日観が悪化するのは必至だ。彼らの視線を伺っている時間的余裕はない。速やかに国民をテロから守る緻密な計画と実行が求められる。
夜、ライムライトを久しぶりに見た。感動で胸がいっぱいになる。
10月9日
小倉のデパート立地問題
警察庁からテロ対策防止策でヒヤリング、原発などの安全確保、国内におけるテロの可能性などについて意見交換する。サービス・流通労組の首脳と小倉のデパート立地問題で意見交換、困難な課題だが、乗り越えなくてはならない。代議士会のあと、本会議、15時から、NCで臨時国会提出法案のすべてをヒヤリングし、扱いを討議した。
夜は、県連の役員体制について国会議員の意見交換会に臨んだ。自分の考えを重ねて主張したが、最終的には、国会議員団として一致して対処する方向を確認した。
10月8日
旅の夜風
今日は、体育の日。朝は、恒例の部落解放同盟八幡地協主催の盛大な運動会に参加した。競技に少し参加して汗をかいたが、なかなか楽しいものだ。このあと、カラオケ教室発表会に出向いた。是非1曲をと言われ、たびの夜風を歌うことにした。しどろもどろになりながらも、何とか歌い終えた。
これは、故河合栄治郎先生の18番である。河合栄治郎先生は、戦前、軍部に追放されたリべラル派の東大教授で、日本における民主社会主義思想家のルーツと言える思想家である。夜は、県連常幹で大会の活動方針を討議、9時半の最終便に飛び乗って、上京。11時40分に宿舎に到着した。
10月7日
運動会で少し汗をかく
9時から、小嶺地区の運動会、そして部落解放同盟若松地協の運動会に参加。スプーンリレー、綱引きなどに参加して、商品に小さなフライパンをいただいた。若松の江川小学校に隣接する森は、素晴らしい自然だ。子供たちの教育にも大変いい。大人が、この自然環境を守っていくことが大切だ。
今日は、黒崎、沖田、本城、皇后崎などの自治区会主催の敬老会に家内、秘書と手分けして出席した。お世話されている方も一生懸命で、頭の下がる思いだ。
10月6日
フル回転で地元周り
8時から、安田工業労組の第80回定期大会に参加、9時から、八幡東区推進会ボウリング大会、1ゲームだけ参加、始球式はガーターで失敗、気を取り直して、成績は145だった。続いて、ゼンセン同盟深江工作所の労組第40回大会、12時は、若社長と懇意にさせていただいている 且O和の創立80周年記念祝賀会に。14時には、金山川まつりの開会式で挨拶、家内と出店まわり、川沿いのアートギャラリーは、素晴らしい。腹いっぱい、手作りの出品を食べる。夕方は、桃園自治区会主催の桃園まつりが、皿倉山頂広場周辺であった。肌寒いが、夜景は、香港並だ。ケーブル駅隣の喫茶店のコーヒーは、じつにおいしい。リッチな気分になる。このあと、中小企業社長会で経済情勢で講演、質疑、懇親会に出席した。今日は14時間動いた。
10月5日
予算委員会は確かに勉強になる
9時から予算委員会の二日目だ。連合の大会後の躍進レセプションもキャンセル、鷲尾会長が離任されるので、是非出かけたかったが、時間的に無理だった。ずっと委員会に座って議論を聞いていなければならない。17時までだ。しかし、予算委員会は確かに勉強になる。各党の意見、閣僚の考え方もしっかりとインプットされる。
夜の地元会合にどうしても出席せねばならないので、他の議員に2時間代わってもらって、飛行機に飛び乗った。
10月4日(木曜)
予算委員会にかんづめ
今日から、2日間、予算委員会にかんづめだ。9時から、1時間の昼食休憩をはさんで、5時まで、テレビが入っている。原則、席は立てない。予算委員会のメンバーになるのは、初めてだ。大変な委員会だ。
首相のすぐ近いところの席にすわって、終日質疑を聞いた。テロ対策では、なぜ自衛隊の後方支援が法的に可能となるか、その論理がいまだに不十分だ。狂牛病対策では、農水省に不安を増幅させた反省がみられない。金融政策では、不良債権処理の先が見えてこない。
ネクストキャビネットが夕刻開かれた。民主党のテロ対策の基本方針が討議され、慎重意見が数多く出されたものの、最終的に了承された。民主党の正念場が続いている。
10月2日(火曜日)
鉄鋼労連国会議員フォーラム
鉄鋼労連三役と、鉄鋼国会議員フォーラム役員の朝食会に出席した。鉄鋼をめぐる情勢は、価格下落で一段と厳しさを増している。荻野委員長の説明の後、意見交換をおこなう。鉄鋼メーカーの中間決算の状況に加え、来年の春闘に向けた情勢認識を聞いて、日本経済の陥っている深刻な現実を再認識する。国会で雇用政策の勉強会を開催することを確認。
午後、二日目の本会議。自由・共産・社民、保守と続く。小泉さんの原稿棒読みにはがっかりさせられる。テロ対策で頭がいっぱいなのか、官僚や抵抗勢力に取り込まれて毎日しんどいのか、訪米の疲れが残っているのかは分からない。「言葉は踊る、されど進まず」これが、2日間の本会議を通じて、私が感じた総理の印象だ。
10月1日 小雨
小泉総理に本会議で質問
いよいよ本会議での質問の日、テレビが入る25分間、間違いはゆるされない。昨夜は4日ぶりに少し眠れた。まとめた原稿をもって宿舎を出発。しんどい作業だった。1時の本会議のベルがなるまで少しでも分かりやすい文になるよう、手を加える。鳩山代表の演説が始まった。実にすばらしい表現力だと思った。聞きながら、何だか恥ずかしくなってきた。いよいよ自分の出番だ。練習では時間内に終わるはずだったが、演説途中に事務局からあと3分のメモが入った。原稿はだいぶ残っている、この時は、あせった。とっさに特殊法人のところをバサッととばして、原稿を読みながらカットしてとにかく終わった。2分40秒の時間オーバー、終わってから渡辺副議長にお詫びにいった。出番をつくっていただいた鳩山代表ら党首脳に感謝の気持ちでいっぱいだ。また資料を用意し、何度も意見交換につきあってくれた党のスタッフ、秘書には大変お世話になった。小泉総理の答弁は、殆どゼロ回答だった、官僚の作文の棒読みに近い。こんなものかなと思う。それより元気がなかったのが気になる。
夜のビールはこたえられなかった。
9月30日
スタッフ二人とねじりはちまき
2,3時間横になって、会館へ。日曜日だが入れてくれる。旧知のスタッフと藤井秘書に日曜出勤してもらって、ねじりはちまきで作業にかかる。党本部では、鳩山代表のチームが頑張っている。テロ対策のむつかしい原稿をまとめるのも大変だろうな、と思いつつ、こちらも必死だ。テーマは分担している。内閣官房から原稿の催促の電話が何度も入る。雇用対策でどう質問するか、主婦や年長者には話題性がなさそうな経済問題でどう質問するか、思案しながら、意見交換しながらワープロに打っていってもらう。やっと7時ころ、原稿全文を官邸に送った。晩飯を食べながら、証券市場の改革などの表現で意見交換。帰宅して自分で最終校正、官邸から、最終版の前文を送ってほしい、そうしないと明朝の総理との打ち合わせで困るから、という。若干の字句修正は駄目か、勘弁してほしい、のやりとり。やむをえず午前0時半にメールで送った。スタッフの知恵を借りながら、原稿に入れられなかったことを悔やみながら、資料に目を通し、この日だけは明日に備えて寝ようと言い聞かせて3時ころ電気を消す。
9月29日(土)晴れ
地元の国政報告会に日帰り
原稿をまとめたいが、地元で国政報告会が入っている。朝、出発して、夜、東京に帰る。午前中の大事な地元行事をキャンセルせざるをえなかった。税関労組門司支部の大会には何とか間に合った。やはり、九州は遠い。往復で8時間かかってしまう。帰ってから、机に向かう。九段の夜風に、はっと秋を感じた。
今日の国政報告会には、たくさんの支持者が来ていただいた。奥洞会地域の後援会主催で、選挙が近いわけでもない時に、本当にありがたい。司会の山本さんから、代表質問のテレビ放送を宣伝していただいた。いよいよプレッシャーがかかってくる。
9月26日
岩田順介先輩、勇退へ
福岡8区の岩田順介元代議士から勇退のメッセージが事務所に届いた。体調を崩された以上、やむをえないが、本当に寂しい限りだ。「今後は、民主党員の一員として闘病の方々、福祉をたよりにされる人々の思いが少しでも政治に届くように、民主党が政権の担い手になりうる力量を確立するよう力の限り尽くす」との先輩の言葉に、深く感動した。
9月22日
狂牛病が大問題に
狂牛病が大問題になってきた。かつてイギリスなどで大騒動になり、外国政府から警告が出ていたにもかかわらず、政府のルーズな対応が国民の生命に関わる事態を招いた点は、薬害エイズの時と同じだ。イギリスから肉骨粉300トンが日本に輸出された調査が明るみに出たが、農水省は否定している。迂回輸出の形で日本に入っていた可能性がある。異常をきたしたブリオンは、若い人に発病している。民主党は徹底した調査を政府に要求している。役所の隠蔽体質を許してはならない。
9月20日(金)
午後帰北、三井ハイテク労組大会に
朝一番の仕事は、不良再建処理をめぐる銀行との折衝だ。具体的な問題になると、悩ましく重苦しい内容だ。それから民事再生法と政府の金融政策の勉強だ。鉄鋼労連の加田次長と厚生労働省に出向き、それからまっすぐ羽田へ。三井ハイテク労組の大会に出席した。同席した岩田元代議士の引退の挨拶に寂しさを禁じえなかった。ハイテク産業も今、厳しい経営環境にある。
帰宅してテロ関係のニュースとテレビ討論を見た。世界最大のイスラム教徒の国インドネシアの大統領とパキスタンがアメリカ支持を打ち出したが、それぞれ国内の反米デモが気にかかる。とくにパキスタンの苦悩ははかりしれないと思う。注目のタリバンの宗教指導者会議の結論が出た。ビルラビンの証拠を明示するよう、要求しているが、アメリカはどう出るのだろうか。身柄は引き渡さないが、ラビンの出国勧告を決めたそうだが、ラビンはどうするか。深夜まで衛星放送で各国の報道を聞いた。ヨーロッパは結束してきた。中国の報道はあっけなく短いが、ベトナム、韓国などのアジア各国は詳しく報道している。ニューヨーク市長は、瓦礫の撤去に何と半年以上かかるとの会見には、愕然とした。米国経済の今後が大変気にかかる。マーケットは今日も続落している。
ところで、イチローは素晴らしい活躍だ。アメリカンリーグでの地区優勝は久しぶりに嬉しいニュースだ。新庄もニューヨークメッツで頑張っている。ノルマンデイー上陸作戦以来、57年ぶりに大リーグも一時試合を見あわせたほどの大事件だ。試合前の野球場の追悼シーンには、胸がつまった。
9月19日
キャビネットでテロ対策を論議
国税労組の福岡の委員長が退任のご挨拶に寄っていただいた。杉委員長の二年間の在任中に政策問題ではいろんなことがあった。公正な税制をめざして税務行政の確立は、重要な国政の課題である。
後藤総括副大臣、政調スタッフと金融政策で意見交換する。インフレターゲット論、金利、金融緩和、不良債権処理、証券税制、銀行株保有機構、産業再生委員会など話題は多岐にわたる。実体経済の面から引き続き、検討を深めることにした。
今日は、ネクストキャビネットで3時間の会議だ。テーマは、当面する経済雇用対策。経済活性化について私からも発言した。あらたに連結納税の導入、リスクキャピタルの市場育成、DIPファイナンスの積極的活用を提言した。
次は懸案のテロ対策。日本は、アメリカやヨーロッパ諸国とどう協調し、行動するか。自衛隊法の改正、自衛隊の海外派遣、後方支援、周辺事態法などについて論議をつめた。国際社会と連帯してテロを根絶するために、日本も自らの問題として考え、憲法の範囲内で行動すべきだと私は考える。議論の結果、国連決議、弾薬を除く輸送など条件付きでしかも時限の新法によって自衛隊の米軍後方支援を認めるとともに、難民支援対策などすぐできることに党としても全力をあげる方針を確認した。
夜は、ネクストキャビネットの懇親会だ。今回の改造では留任組が少なく、新メンバーが多数加わった。途中で抜けて、議員会館へ戻り、安全保障政策で気になるところを、自分なりに考えてみた。テレビで小泉首相の記者会見を見た。イギリスやドイツのリーダーに比べて、何と見劣りのしたことか。
9月12日
米国同時テロニュースの衝撃
昨夜は山口県から夜遅く帰宅した。家族は、やすんでいたので、僕もすぐに眠ってしまった。悲劇を知るのは、翌朝のニュースだ。家内も僕もテレビの前で眼を疑った。驚愕と怒りで身体がわなないた。午後の鉄鋼議員団会議常任幹事会に出席するため、上京しなくてはならない。頭の中が真っ白になったような状態で、とにかく身支度をして、折尾駅から電車で空港に向かった。これは、大変なことになる。ヒットラー以来の狂気とも言えるテロ集団との闘いが始まる。結末は、どうなるのか。
9月6日
民主党ネクスト・キャビネットに留任
NCの新メンバーが以下のとおり決まった。これからまた忙しくなる。僕の担当は、経済産業省で留任だ。
総理大臣 鳩山由紀夫、NC副総理 菅 直人 NC官房長官 岡田克也
NC男女共同参画・人権・消費者・沖縄・北方・科学技術担当大臣 岡崎トミ子
NC公安・防災担当大臣 枝野幸男 、 NC行政改革・規制改革担当大臣 野田佳彦
NC総務大臣 玄葉光一郎、 NC法務大臣 江田五月、NC外務大臣 鹿野道彦
NC安全保障担当大臣 伊藤英成 、NC財務大臣 峰崎直樹
NC金融担当大臣 五十嵐文彦、NC文部科学大臣 中野寛成
NC厚生労働大臣 金田誠一、NC農林水産大臣 筒井信隆
NC経済産業大臣 北橋健治、NC国土交通大臣 樽床伸二
NC環境大臣 小宮山洋子
9月3,4日
ヨハネスベルグから丸1日かけて帰国
9時半、今日は、どんな人がドライバーかなと思いつつ、ホテルのロビーで待っていると、若い白人が、赤のBMWで現れた。このドライバーと空港まで30分、初対面だが、私の英語でもそれなりに話が通じた。貧しい黒人の村を遠く指差しながら、国の困難な状況を語り、とりわけ子供たち次の世代への熱い思いを聞いた。マンデラがなぜ素晴らしいか、彼は力説した。この国の将来の確かな道筋を垣間見る思いがした。
空港からまた、日本まで一人だ。帰りは、不思議と孤独を感じない。CX748便でヨハネスブルクを12時50分に出発、ホンコン着 8時10分。9月4日の朝、CX450便でホンコンを10時10分出発、台湾経由で、成田に無事17時20分に着いた。こんなにきつい失敗だらけの旅は初めてだったが、感動の連続だった。
9月2日
ダーバンの1日
朝、外務省の役人に、自分の考えを伝え、日本のNGOの意見に耳を傾けるよう要請して、ホテルを出発した。まずDurban Exhibition Centerに向かう。街の地理は、もうバッチリだ。10時からは、政府間会議の本会議が開催されていた。午後、石毛議員、日本のNGOの代表と一緒に現地に取材に来ていた日本のマスコミに記者会見を行なった。
それから、また、ドライバーと二人に戻った。NGOの展示、交流が行なわれたクリケットスタジアムにもう一度足を運んだ。後片付けに入っていたが、スタンドで昨日のカストロの二時間の大演説の時に、観衆が振っていたキューバの手製の国旗を記念に拾って持ち帰ることにした。
インド洋に面した美しい海岸の行楽地をおとづれた。ショッピングセンター、本屋、レコード屋、レストラン、ヨットハーバー、時間との競争でぐるぐる回った。
夕闇迫るダーバン空港では、抱き合ってドライバーと別れを告げた。最高に素晴らしい旅を満喫できたのも、終日ボディガードを兼ねて案内してくれたドライバー、ショーンさんのお陰だ。これから、僕は、ダーバンのセールスマンになりますよ。ノーギャラでね。かわいい子供さんがパパを待っているのだから、さあ、早く帰ってください。硬く握手して別れた。
これからは、自力で行かねば成らない。ダーバン発19時の便でヨハネスブルクへ。1時間で到着した。空港では、「KITAHASHI」のボードを持った黒人のドライバーが待機していることになっていた。二人で真っ暗なハイウエイを20分飛ばしてホテルへ向かった。煤煙やスモッグがないはずなのに、星空がよく見えないのは残念だった。とにかく暗いハイウェイだった。
9月1日
ダーバンへ
ヨハネスブルクには、朝6時50分に着いた。満室の13時間のフライト。この旅は、長かった。治安が大変悪いと言われていたので、出迎えもない見知らぬ土地で不安もつのった。だから疲れを感じる余裕もない。一時間強の待ち合せの間、空港内のコーヒーショップに立ち寄った。チキンパイとコーヒーが朝食だ。びっくりするほどパイはうまい。南半球なので肌寒いが、空港は、禁煙なので、ショップの外で食事だ。福岡を出発して丸一日も一人ぼっちだったが、こんなことは、この15年間一度もない。
それから、南アフリカ航空でヨハネスブルク発9:00、ダーバン着10:10。空港にて「KITAHASHI」のボードを持ったドライバーが待機しているはずだが、そのボードを見つけた時は、うれしかった。外交官もこの時だけは、出迎えてくれた。運転手を紹介するためだ。ボディガードをかねたこの運転手、ショーンさんと二人で、まっすぐBaySide
Hotelに向かう。ベイサイドとは名ばかりで、街中のビジネスホテル、隣はアダルトショップだ。このホテルに外務省代表団が投宿しているが、IDカードを受け渡されただけで、ほとんど何の説明もない。忙しいだけではないな、招かざる客扱いだなと自分に言い聞かせながら、荷物を置いて、早速メイン会場のDurban Exhibition Center へ。世界中の外務大臣など代表団がたくさん来ていた。厳重な警戒体制だ。
石毛議員と秘書さん、組坂部落開放同盟委員長の顔を見た時は、嬉しかった。テラスで昼食をとりながら、政府間交渉のポイントについて打ち合わせをした。国連の会議をしばらく傍聴する。アラファトはじめ、世界の外務大臣のスピーチが続いている。さて、外務省とNGOの公開会議に午後から参加する予定だったが、場所がどうしてもわからない。一人歩きは厳禁されていたが、構っていられない、警官に3回聞いて20分も歩いて探して会場までやっと出向いたが、情けないことに部屋がどうしても分からない。べそをかきそうになった。仕方なく、また、センターに戻ってきた。隣のクリケットスタジアムでNGOがパネルを開いていると聞いて、そちらをたずねてみた。民主党議員団の仕事は、ダーバン2001でNGOと日本政府代表団とのパイプ役を果たすことだ。外務官僚を会場で見つけては、意見を交換した。
夜は、ドライバーとシーフードレストランで一緒に食事をした。彼にいいところを紹介して欲しいと頼んだ。ドライバーと食事をするのは、海外出張では初めてだ。これが良かった。現地の人に案内してもらうのが、土地を知るには最善だ。短い時間しか一緒にいないのに、もうすっかり彼とは打ち解けていた。楽しく世間話をした。今日は失敗だらけの1日だったが、ハンザ、ピルゼナーの地ビールは、違和感なくおいしく飲めた。ダーバンの金持ちがたくさんすむ海岸ぞいの高級レストランのようだが、値段は日本の3分の1くらいだ。
8月31日
南アフリカに出発
南アフリカのダーバンで開催された国連「人種主義・人種差別・外国人排斥・関連する不寛容に関する世界会議」(通称ダーバン2001)に、政府代表団顧問議員のメンバーとして参加するため、キャセィ航空で福岡を10時45分に出発した。中継点のホンコンに到着したのは、15時。それからホンコン発の23時40分まで長時間の待ち合わせだ。とても大きな空間だ。まさに世界のハブ空港だ。また、タバコは、外国に出ると、つくづくご法度だと観念させられる。到着後は1時間ほど迷子になったが、もう空港内は眼をつぶっても歩けるほど、たっぷりの時間の待機だった。慣れてみると実によくできた設計だと思う。
スターバックスのコーヒー20香港ドル、水12ドルがうまかった。実は、この横に喫煙室がある。レストラン風水小館でフジアンチャーハン60ドル生ビ−ル35ドルの食事だ。日本で食べる中華料理は、日本人用にかなり味をアレンジしていることが分かる。
さて、持ってきた愛用のパソコンをいじりながら、出発をまった。しかし通信がどうしてもうまくいかなかった。外国向けのモデム、変圧器を持っていったのに、残念だ。サービスの表示は、日本のように懇切ではない。
香港から13時間のフライトに乗り込む。日本人は、まったく見当たらない。隣は、白人の大男だ、私が窓際なので夜中にトイレにいくのは、忍者のように飛び越えていかねばならない。途中、人権問題の資料に眼を通す。一生にもう一度行けるとは思えない南アフリカで貴重な二日間をどう過ごすか、思案しているうちに眠くなってきた。比較的よく眠れたフライトだった。
8月25日(土)
全国幹事長会議の選挙総括
全国幹事長会議に冒頭参加、重要な会議ではあるが、夕方からの会合に出席するため、飛行機で急ぎ帰北した。選挙総括である以上、敗北を正面から認め、なぜ小泉旋風を許したのか、謙虚な反省があってしかるべきだが、結局それは不充分だったと言わざるを得ない。
8月24日(金)
生保労連の大会に出席
生保労連の第33回定期大会に出席する。生保の経営環境は依然として厳しい。予定利率の引き下げという最後の手段を選ぶ前に、まずできるこをきっちり実行することが肝要との持論を述べた。未来の安心を取り戻すためにも、生保の再生を急がねば成らない。
夜は、高校同窓会有志による勉強会の火陽会に参加。テレビ会社社長をまじえ、よもやま話に花が咲く。それぞれの立場で日本経済の先行きを憂慮している。民間企業のトップで活躍している先輩の会話に耳を傾ける。とにかく思い切った経済対策が不可欠だ。
8月21日(火)いよいよ東京に台風接近
九州国立博物館の予算獲得を期して
台風から逃げるように、安全策で昨晩のうちに上京した。午前中は、九州国立博物館の議連の総会が議員会議室で開催されたが、これに間に合うためである。私の他に、自民党の国会議員7名が参加したが、保守地盤の厚さを感じさせられる。地元から福岡県議2名も一緒に参加し、文化庁幹部と意見交換した。今年の予算編成は、小泉改革のあおりでかなり厳しいと言われる。平成17年度の開館が地元の目標だ。超党派の議連で僕も頑張っている。
13時から、奨学金制度の充実を求める緊急中央集会に出席した。小倉と京都の女子高校生から切々と要請があり、民主党としても最善を尽くす決意を披瀝した。
続いて、経済産業省の通商政策局の審議官とセーフガードをめぐる意見交換をおこなった。先日私が訪中した際の中国政府の責任者の郭利さんとの会談内容、政府の交渉経過が話題である。
夜になって、いよいよ雨脚が強くなってきた。久しぶりに大型台風の接近である。こういう時は、勉強するに限る。議員会館で一人遅くまで、セーフガード問題の資料を読んだ。BGMにテレサテンの中国語のカセットテープを引っ張り出した。
8月11日 北京の陽射しは強い
中国産野菜の味は悪くない
朝5時にタクシーに乗って、日本軍の中国侵略の起点となったロコウ橋に単身出かける。当初、私は、午前中の日程にロコウ橋を希望したが、外交学会は、強く故宮をすすめられたので、そのようにお願いをしていた。ただ、次に訪中できるのはいつか分からないし、学生時代から、どうしても訪問したかったので、意を決して珍しく早起きをした。
車の少ない早朝、5時半には、もう橋に着いた。日の出を途中で迎えていたので、あたりは、明るくなっている。マルコポーロの東方見聞録に出てくる有名な橋、風雪に耐えてきた欄干の石の彫刻は感動的だ。歴史の重みをかみしめながら、ゆっくり散策することができた。河原には水の流れはなく、草が一面に茂っている。橋を渡ってふりかえると、まぶしい朱色の太陽が昇ってきた。
投宿したホテルは、天安門に歩いて数分の最も近い場所にあり、8階の部屋の窓からは、眼下に故宮の明るい茶色の屋根が樹林の上に浮かんでいる早朝の絶景が見渡せる。朝食は、バイキング形式だが、私は、野菜、果物のメニュウを全部食味することにした。訪中の目的が、農産物貿易摩擦なので、どういう味か確かめたかったからだ。日本人客が少ないホテルだ、中国産野菜の味は、悪くない。しかも日本の農民がたまげるほどのコストで生産されている。中国は、世界の工場と言われるが、世界の農園になりうると思う。
九時から、100分かけていよいよ故宮の見学。真夏の北京の暑い陽射しの中を、汗だくになって、ご案内の懇切丁寧な説明に頷きながら、見たこともないほどの多くの見学者の行列に入って見学した。あの巨大なスケールは、ラストエンペラーのスクリーンからも想像できなかった。夏休みを利用して地方から旅行に来ている多くの子供たちの元気な姿に、未来の中国の強さを感じた。
中国人民外交学会は、日本人の気持ちを考えて故宮のコースを推薦したものと私は、察している。ある学者が、賢明な中国人は、過去をとやかく言わない、賢明な日本人は、過去を決して忘れない、そう書き記していたことを思い起こした。中国人民外交学会のご好意に深謝しつつ北京を後にしました。
8月10日、北京へ
緊張で暑さを忘れる
10日金曜の午後、北京空港で出迎えていただいたのは、外交学会副秘書長のソン女史。初対面なので最初の会話を少し思案し、オリンピックの北京招致決定のお祝いをまず申し上げることにした。車窓から見ると、2回目の訪問になる北京の街並みは、さらに整備がすすみ、天安門広場をはじめ街は、活気に満ち、シトロエンの赤いタクシーと道路沿いの豊かな緑が印象的だ。
空港から真っ先に向かったのは、当方の面会希望先である中国対外貿易経済合作部(経済貿易委員会)だった。郭莉局長と80分間、日中貿易問題について会談する。郭莉女史は、駐日中国大使館の公使参事官を務めた日本のスペシャリストで現在、対日を含めて貿易政策の責任者です。セーフガードの問題では、日本の農水省、経済産業省、財務省の代表団を相手に中国側のトップで対応した方だ。
女史の第一声は、私が自由貿易主義者かどうか、という問いかけだった。日本の生きる道は自由貿易主義以外にありえない、ただ、重大な雇用問題が発生した場合は、一定の政治的配慮を否定するものではない、と私は答えた。それから、予定の一時間を越える会談となった。
女史の強調したことは、中国にとって日本は、最大の貿易のパートナーであり、ねぎなどの小さな貿易額の問題で全体の友好に支障が出ることを憂慮している。なるべく早く交渉を再開し、1日も早い解決に最善を尽くしたいというものだった。私からは、日本の農産物セーフガードの本格発動はすべきでないと考えるが、膠着状態を打開するために、ねぎ、生しいたけなど農産物の対日輸出のありかたについて新提案は用意できないか、また、鉄鋼を例にとって、WTO加盟後の中国の貿易政策について質問もした。公式的な対話をやめて、できるだけ本音の意見交換に努めたが、当方にとっては、中国政府の真意がよくのみこめ、有意義な会談であった。
夜は、外交学会西楼で3時間を過ごしました。元スイス大使で外交学会の辛副会長(ヨーロッパ担当)、副秘書長のソン女史との会話は、歓迎のご挨拶に続いて、予想とおり歴史教科書、首相の靖国神社参拝、台湾問題、セーフガードなどの話題になった。席上、辛副会長は、中国政府の見解を明確に述べられ、当方からも私見を申し上げた。
副会長は、歴史を鏡として未来に目を向ける立場から、現下の困難を乗り越え、中日友好協力関係の一層の強化が大切だと述べられ、両国の発展を祈念して乾杯でお開きとなった。
8月2日(木)東京も暑い
中国大使館と訪中の準備
県知事、北九州市長、福岡市長ら地元自治体首長との朝食会で、来年度予算の懇談会が開催された。当方から、構造改革、公共事業見直しの中で、港湾、飛行場の建設を成功させるために、北九州市と福岡市が将来合併するくらいの気持ちで戦略を練るよう求めた。
参院選で福岡に応援にきてくれた党幹部にお礼のご挨拶回りに出かけた。鳩山、菅、熊谷、羽田議員である。
午後は、中国大使館と訪中の打ち合わせを行なった。私は、日本は自由貿易主義を基本とすべきであり、農産物セーフガードの安易な発動には反対の姿勢であり、現状を憂慮している。8月10日に成田を出発、北京で中国貿易政策の幹部と意見交換、翌日帰国する。会談では、農産物のセーフガードをめぐる日中間の貿易摩擦を打開するため、中国側の意見を聞かせていただき、併せて、日中鉄鋼貿易の拡大について意見交換をする。
7月31日
国は筑豊じん肺訴訟控審判決の上告をとりやめよ
7月19日、福岡県筑豊地区の石炭じん肺患者と遺族が損害賠償を求めた「筑豊じん肺訴訟」控訴審で福岡高裁は、石炭じん肺訴訟としては初めて国の賠償責任を認める判決を下した。
これに対して、政府は、福岡高裁判決を不服として、最高裁に上告する方針を固めたと報じられている。もしこれが事実だとすると、提訴から16年を経て原告の8割近くが亡くなり、国は患者の救済に努める必要があるとの原告団、弁護団、支援者などの切実な声を無視するものであり、極めて残念である。
十分な保安対策を欠いたまま石炭の増産政策が採られ、じん肺の発生を十分予想できたのに、国が有効な手立てを講じなかったことは明らかである。福岡高裁が、国の責任を認めたことは理に適っている。労働者の生命・健康の安全を確保する義務は雇用主にあるが、重大な危険が存在し、それを承知の上で、与えられた権限を行使しなかった場合に、行政が責任を問われるのは当然である。
民主党は、「筑豊じん肺訴訟控審判決」について、政府は上告を とりやめ、全国のじん肺患者に救済の手を差し伸べる努力を、可能な限り急ぐよう強く要請する。
7月29日(日)
投票日、はてしなく長い一日
半年の選挙運動は、厳しい道のりだった。各支部は、小泉人気の逆風と候補者決定の遅れというハンディを乗り越えて頑張ってきた。私も選対事務局長として、自分の選挙以上に心配したかもしれない。国会があるので、平日の活動がほとんどできず、大変あせっていた。昨日で運動期間は終わった。だから、夕べは、少し眠れたようだ。
今朝は、まず、空手の大会に大会会長として参加した。午後、家内と投票所へ。投票率は意外に低そうだ。夕方、戸畑祇園提灯大山笠の飛幡競演会に顧問として参加、祝辞を述べた。
中座して博多の選対本部へ野村秘書の運転で急いだ。途中で大雨になった。マスコミの出口調査の情報が入ってくる。2%も負けているとの有力情報に、驚愕する。重い足どりで選対本部に着いた。しばらくして、開票結果がテレビに出始める。やはり、一歩遅れてのスタートだ。差は、少しだが、順位は依然変わらない。不安がつのってくる。各地域の開票状況を問い合わせてみる。私の地元選挙区の中間報告を聞いて、愕然とした。絶対にリードすべきなのに、同じレベルだというではないか。主戦場の北九州地区で勝てないのか。それから、50分、別室で長く息苦しい沈黙の時間に耐えた。
また、携帯電話が鳴った。秘書からの次の一報だった。自分の選挙区で1万以上の票差が確実になっていた。これで絶対に勝てる、その時、確証をもった。しばらくして、テレビの開票は、岩本2位を伝えた。開票がすすむにつれ、全県的に、民主党の健闘ぶりがはっきりしてきた。
深夜になって、全国の選挙区で最後にやっとテレビの当確が出た。あの時の感動は、言葉ではとても表現できない。これで、やっと十字架をおろせた。本当に長い登り坂だった。ご支援をいただいた皆様に感謝の気持ちで一杯だ。
明け方の4時まで県連関係者と比例区の開票を見守ったが、次の日の日程があるので、心配しながらも博多のホテルに引き上げた。
7月23日(月)晴れ
北九州音楽文化連盟の顧問に
11時から、北九州学術研究都市の記念式典がおこなわれ、祝辞を述べた。ハブポートを中核施設とする物流基地、環境リサイクルのメッカなどとならんで自分が最も注目する地元のプロジェクトである。選挙活動を中断して行事に参加した。15時からは、新北九州空港建設促進期成会の総会が行なわれた。挨拶の中で、私は、新北九州空港をアジアのハブ空港に位置付け、滑走路の延長、アクセスの一層の整備をはかるべきだと訴えた。
夕方、地元の音楽界のリーダーの皆さんの訪問を受けた。北九州音楽文化連盟顧問の委嘱を要請された。音楽は、大変好きだが、素養がまったくないだけに正直ためらったが、お受けすることにした。自分に何ができるだろうか、考えるとはなはだ心もとない。ただ、北九州に音楽ファンがもっとふえればいいなと思う。
深夜まで、選挙の最終分析に精を出す。エクセルで表にし、幹部にメールを送った。ぎりぎりの闘いになっている。
7月21日(土)晴れ
追い上げムードに
13時から、連合北九州の統一行動が黒崎長崎屋前であった。東京から連合の笹森事務局長が応援弁士にかけつけた。演説のコンテンツ、組み立て、インパクトには敬服する。小泉政権に対する基本姿勢が実に明快である。宣伝車の上で横に立って演説を聞いていて、勉強になるケースはあまりないが、この日は違った。以来、僕のアピールも若干軌道修正することにした。つまり小泉旋風に正面から立ち向かうことである。
終わると一緒に小倉へ。今度は東映映画館まえでの街宣。人の出、車の往来は、八幡の4~5倍の感がある。街頭演説会の30分間、八幡との活気の違いを痛感する。
次のスケジュールは、岩本候補の友人である俳優の石黒賢さんと一緒に戸畑、若松地区をまわった。若い女性層に大変な人気である。多忙な日程の中をとんぼ帰りで東京から応援にきてくれた。18時から、岩本つかさ個人演説会が、若松市民会館で。19時からは、新日化労働会館で行なわれた。
そして、八幡西区の広旗八幡宮の夏越祭に飛んでいった。元旦にお参りにでかけたお宮だが、地域手作りのすばらしい盛会であった。
7月15日(日)晴れのち大雨
ゴルビー小泉さんの選択は
当たり前と言えばそうだが、悪天候に政治活動は左右されない。バケツをひっくり返したような大雨が突然降り出した。午前中は、抜けるように青い空が見えていたのに、天気の激しい変化には驚かされる。丁度いまの世論とそっくりだ。今日は、街宣車に5時間乗って、マイクで声を振り絞った。
今日の演説で始めてゴルビー小泉さんというニックネームを使った。構造改革が本物なら、日本版ペレストロイカが始まる。はたして彼の選択は、どうであろうか。
7月1日(日)晴れ
少林寺拳法の県大会に参加
第29回少林寺拳法福岡県大会が北九州市立総合体育館で盛大に開催され、大会顧問として出席した。誠に礼儀正しい武道である。学生時代、同級生に黒帯がおり、少し手ほどきを受けたので、つい昔のことをなつかしく思い出してしまった。彼は、資本論の勉強会で一時一緒だったが、社会主義青年同盟のメンバーになったころから疎遠になった。ただ礼節を尊び、仁義には篤い学生だった。子供たちが、武道に精出してくれるようになれば、教育の現場は随分変わると思う。
1時間はいたが、あいにく次の会合があり、中座せざるをえなかった。忙がしすぎるのは、政治家の常だが、招待側には申し訳ないと思う。創始者のお嬢さんが総裁をつとめておられ、当日講話がある予定だったが、学生時代から、二代目のことを聞いていただけに、聞けなかったのは残念だった。
5月23日(水)小雨
経済産業委員会で質問にたつ
朝八時の経済産業部門会議で、内閣提出2法案の審査と財政構造改革の討議をおこない、10時から、小泉政権発足後初めて経済産業委員会で質問にたった。
まず、平沼大臣の政治姿勢について@ 李登輝氏へのビザ発給問題、A靖国神社公式参拝への所見B集団的自衛権の行使は現行憲法上、容認されるかなど、民主党のキャビネットで話題になった事柄を質問した。立場は異なるが、大臣の答弁は聞いていて明快である。将来の総理候補と言われるゆえんが分かる。
次は、小泉総理の聖域なき構造改革について、@総理からの指示内容と道路特定財源見直しについて、A電源開発促進税の見直し方向、B財政構造改革のすすめ方などを質し、セーフガードの対応、鉄鋼の通商政策課題で45分タイムアップとなった。詳細は、ホームページのネクストキャビネットのコーナーでお知らせしている。
12時すぎに麻生知事、山崎市長、九電社長が「福岡新空港の件」で来室、理解を求められた。新北九州空港の位置付けがまず大切と逆に訴えた。
13時から、経済産業委員会が再開。15時からの日韓議連総会等の行事は、委員会優先のため秘書代理となった。
16時から、木俣事務所と法制局のメンバーが、下請け代金法改正案の説明に来室。国会提出の準備に入っている。
18時からは、CSG大木明石さんを励ます会に出席、そこを中座して地元から上京した議員との懇談会に急いだ。帰宅後、サハラ砂漠のキャラバン隊の動向記録映画を見たが、とても良かった。コンクリ−トジャングルの中の索漠とした苦労とは、違うが。
5月22日(火)雨
プルサーマルの国民合意形成に努力
11時からの経済産業部門会議では、プルサーマルの国民合意形成に向けての努力が不可欠との合意を得た。安全性、必要性を確認した上で、エネルギー政策の位置付けを明確にし、政府としても最善を尽くすよう求めていくこととした。5月27日に迫った新潟刈羽村の住民投票を念頭においての論議である。
5月21日(月)小雨
地元行事で駆けまわる
朝7時から、黒崎駅前で早朝街宣にたった。小泉政権になってから政治アピールは正直なところ、むつかしくなった。しかし、自分の考える改革について、精一杯声を張り上げて訴えている。その内、風向きも変わるだろう。11時から市役所都市計画課から折尾駅の立体交差の都市再開発についての陳情を受けた。市民の期待する公共事業は、当然推進すべきだ。16時から、東九州自動車道福岡県建設促進期成会に出席し、続いて福岡県トラック協会北九州支部総会で連帯の挨拶にたった。小倉駅から新幹線で博多へ、夜の参院選対本部企画会議に出席、作戦を練り上げた。ラーメンをのみこみ、九時半のアナ最終便に飛び乗って上京、12時前に九段の宿舎に到着した。
5月2日(水)終日ぐづつき模様
日本の子供たちの学力が心配
せっかくの連休なのに、天気が悪すぎる。といっても、高校生の子供二人は、学校にでかけた。父と子の対話は、なかなか実現しないものだ。僕の場合、子供との対話時間は、一日平均何十秒になるだろうか。子供の世話をしない男を父親とは言わない、というポスターにはドキッとした一人だ。自分のやりたいことをできるだけ自由にトライさせる方針で、子供と接してきたが、もう高3と高1になった。僕は、阪神地域の進学校の甲陽学院で勉強三昧の毎日を送った。卓球とテニスを続けたかったが、勉強との両立について親から指摘され、ついにギブアップした苦い記憶がある。したがって子供には、あの時の思いをさせたくないばっかりに、心配しながらも比較的自由にさせてきた。
今日のニュースで、日本の子供たちの勉強ぶりが興味を引いた。中学2年の平均勉強時間は、1.7時間。世界各国の平均は、2.8時間。帰宅後まったく勉強しない子は、日本41%、1995年より13%も増えた。ロシア11%、アメリカ28%、イタリア9%、国際平均20%という。文部科学省の新学習指導要領では、3割も学習内容をダウンさせる方針だ。資源を持たない日本の財産は、人に他ならない。勉強は、学生時代の一こまではあるが、これで良いのかと思う。
午前中は、電話で仕事をし、テレビで小泉政権に関するニュース番組を見る。どういう経済政策を打ち出してくるか、注視している。東京から持ち帰った書類に目を通す。愛犬はちが毛の生え変わりなので、ひさしぶりに、というより何ヶ月ぶりにブラシをかけて遊んでやった。丁度一歳と4ヶ月になるが、番犬としてはまあまあの精勤ぶりだ。午後は、仕事で出かけた。夜になっても子供は、塾とクラブ活動で帰ってこないので、家内と庭で寒さに少々震えながら、炭をおこし、僕の大好きな手羽先をたくさん焼いて、何年ぶりかで、ラインの白ワインを飲んだ。
ところで、ワインの価格破壊は、焦眉の急だと思う。ブルゴーニュやボルドーの高級酒に引きづられていないだろうか。パリの大きな食料品店にごっそり並んでいたボルドーは、ほとんど1000円台だった。ドイツのラインくだりの売店のモーゼルは、確か数百円だった。ワシントンのレストランの店長おすすめのワインは、25ドルと言っていたが、実にコクのある一級品だった。数年前、ソムリエの資格をもったあるサラリーマンに弟子入りを打診したが、タバコを吸うやつには、ワインの味は解せぬと、一蹴されてしまった。
この日は、家族が寝しづまった深夜まで、ホームページの更新に努めた。2時からの民法テレビで、学徒出陣して22歳で戦死した特攻隊員のドキュメンタリー番組を最後まで見た。胸がしめつけられる。
4月28日(土)曇り
吉祥寺の藤は、今年も美しい
夕べのワインの酔いが抜けた9時半ごろ、女房と車で出発。一緒に出かけるのは、一、二ヶ月に一回位だろうか。まず、風邪をこじらせて肺炎で入院している岩元秘書を見舞いにいった。顔色がいいので安心した。
続いて毎年の恒例行事で吉祥寺の藤祭りへ。4月27日から29日まで。13世紀に創建された吉祥寺は、150年もの樹齢の藤で有名なところで、毎年この時期に地元自治会の皆さんのご尽力で盛大に藤祭りが開かれる。天保5年に改築された由緒ある山門に向かって歩いて行く。道路の両側に出店が一杯出ていて、大変な人の出だ。境内下の公園に設置された祭り実行委員会本部のテント横で今年は、宗像の猿回しの芸がアトラクションで人気を博していた。かわいい小猿は、さくらという名前で、我が家の愛犬はちより賢そうであった。途中で多くの後援者に出会った。境内では、藤だなから30,40センチもある房が垂れているので、藤の花にあたらないよう、腰をかがめるように歩く。久しぶりに地元で賑わいのあるイベントだが、非情にも、天気が曇りで、小雨が降りだしそうだったことは、残念だった。気がついたら、当初予定のうどんを食べる予定の時間がなくなってしまった。
そこから事務所に向かう途中の永犬丸で、時間がないので、家内を車から下ろし、僕は、陳情客の待つ八幡事務所に急いだ。永犬丸は、えいぬまると読む。15年前、東京からきた時、読めなかった。我が家の子供は、二人とも永犬丸中学校の野球部でお世話になった。子供の同級生のお父さんが経営するうどん屋が、近くにあって、私の好みでは、北九州の五指に入る味だ。後から聞くと、家内は、しぶしぶ歩いて帰宅したらしい。
このあと知人の見舞いに行き、夜は、黒崎の八起きで県議との懇談会。開店の時に行ったものの、あとは盆と正月しか行かないという表現がぴったりなのに、隣のわからんやとかここでは、厚かましく開店以来の常連客であるかのごとく振舞っている。5人前食べますからとか何とか、店主にわがままを言っては、好きな赤ワインを持ち込ませてもらい、いつも強烈に酔ってしまう。ただ、ワインの持ち込みは、めったにない。酒宴の雰囲気が梁山泊になりそうで、かつ相手がワイン通のVIPで、しかも声のでかそうな人がいる時には大抵こうなるが、そういう人は、めったにいない。2カ月に一回位だろうか。
4月27日(金)、晴れ
北九州の将来は、アジアの玄関口に
午前中は、経済産業省の若手、中堅官僚を相手に、4コマの勉強会をいれた。永田町では、ヒヤリングと言っている。まず、アルコール系燃料のガイアックスへの課税問題だ。次に、自然エネルギーの発電促進の法制化問題。政府は、5月中に、方向性を出すとも言われている。さらに、鉄鋼の通商課題全般について。最後にプルサーマルへの対応だ。新潟県刈羽村の住民投票が注目されている。いづれもなかなかの難問だ。内閣提出の法案対応は、一段落したが、課題は、山積している。
パンを急ぎのみこみ、昼過ぎの飛行機に飛び乗って、帰福、まっすぐ県連に向かった。参院選の会議のためだ。藤田さんをはじめ、県連役員の頑張りで、選挙準備は急ピッチにすすんでいる。山崎さん、麻生さんの三役入りで、保守陣営は、かなり強くなったと思う。しかし、民主党は、絶対に負けない。どこまでも頑張りぬく決意だ。
夜は、3つの会合を駆けた。まず、ザ クロサキの設立披露パーテイー。韓国の5割強のビールのシェアをもつハイトビールなどの販売会社だ。ハイトビールは、アルコール4.5%で日本より1%度数が低い。味は、たしかにまろやかで女性にこのまれるのではないかと思う。そごうやトポスが閉店する不況の中で、スタートするだけにそのベンチャースピリットは立派、本当に頑張ってほしい。北九州の将来は、アジアの玄関口にふさわしい交流ゾーンの拡大にかかっている。僕も高田商工会議所会頭のあと、お祝いと激励の挨拶をした。
続いて、青年会議所有志の主催で高田寿一郎さんの社長就任祝いだ。大盛会だった。彼が、ニュウミュージックのバンドのメンバーであることは知らなかった。大した腕前だ。自分を含めて28年組は、カラオケの歌合戦で点数を競うコンペに興じるが、高田さんとは、ラベルが違うわと、みんな異口同音に言っていた。新社長のご健勝と地場生え抜きの名門企業の益々のご隆盛を祈念したい。
ラストは、同級生の異業種交流だ。宮本夫人の経営する小倉のイタリアレストラン、キヨぺぺ。パスタがうまい。久しぶりに5種類のパスタを食べた。もちろん5人で。さすが本格派のイタリア料理店。注文したら、生まれて始めてイタリアンビールを飲めた。やはりイタリアは、ワインだ。比較的安く、味はライトで、飲みやすい。イタリアワインの女性ファンが近年増えていると聞いていたが、納得できる。よもやま話で座は盛り上がった。こうなるととまらない。夜も遅いのに、東北大の野球部出身者がいたので、よった勢いもあって前から電話したかった仙台の福島元北九州ボーイスカウト後援会長の自宅に電話してしまった。それから障害者福祉のエキスパートがいたので、彼も僕もお互いしゃべりまくった。要するに、北九州を日本で一番障害者にやさしい町にするためにどうすれば良いかというテーマだ。同級生は、本当にいいものだ。かみしもをぬいで、何でも本音で話ができる。深夜まで楽しい会だった。お蔭様で小泉ショックが癒えたかな。