雑感
趣味といいますと、何でも浅く、広く顔を突っ込んでいますが、一芸に秀でたものは何もありません。正直に告白すると、政治活動に入って、この21年間、まったく進歩は止まったままですが、これから少しずつ暇をみつけて書きたしていきたいと思います。
ばらはむつかしい
西アジア、東洋に原生したばらは、ギリシャ神話に香り高く美しい花として登場しますが、ルネサンス文化の題材やヨーロッパの王家の紋章にもなり、シューベルトには傑作リート野ばらの霊感を注ぎました。
リヒャルト シュトラウスのオペラ薔薇の騎士という物語にあるように、一輪の薔薇は、いつの時代にあっても特別な愛情表現の象徴です。
古代から西欧では、ばらは年に1回しか咲かないと思われていただけに、18世紀になって、四季咲き性の中国品種が西洋へ伝播されたことは、ばらをこよなく愛したナポレオン夫人はじめ西欧の愛好家を狂喜させたそうです。交配品種改良の長い歴史上、この画期的な出来事をきっかけに、華麗なモダンローズの時代がはじまったと聞いています。エレガントなばらは、まさに古今東西の美の結晶と言えます。
自宅の小さな庭には、かつて所狭しと40株ありましたが、選挙のたびにやつれてしまい、今では12本の薔薇が、目を楽しましてくれます。
きれいに咲いたら、ドライフラワーにして、骨まで愛してやろうと思いますが、病害虫に弱く、栽培に大変手がかかります。大きな花弁よりきれいな葉をつける方がむつかしく、本を読んだり名人のお話を聞きながら、悪戦苦闘しています。
アーチェリーとのおつきあい
(2005年、日経新聞のインタビューにこたえて)
1986年、初当選して毎週のように東京と九州を往復する生活になった。自分の時間がなかなかとれない日々。とくに土日が行事出席で多忙になった。政界の一寸先はヤミと言われるように、スクランブル発進がしばしばある。また、お通夜、葬儀、急ぎの陳情などの日程が飛び込み、先の日程がなかなか決められない、この世界の常である。
政界に限らず現代はストレスとうさがたまる社会で、政党活動にも中間管理職的な悲哀や板ばさみ現象がおこる。
それだけに、腐ってはだめ、心身ともいつもはつらつと健康であり続けたい、と年をとるにつれて思うようになる。厄年を過ぎて、年をとってもできるスポーツを何か本格的に習おうと思い立ったが、先生に時間を予約するのが仕事柄困難なため、なかなかスタートできないでいた。
北九州市の自宅近所の折尾高校アーチェリー部が日本一に輝き、名声を博している事実に気づいた。のちにオリンピック選手も輩出した名門チームだ。地元高校生の名誉ある快挙にエールをおくったのがアーチェリーを身近に感じたきっかけとなる。
折尾高校出身の野村秘書の紹介で、日本一のクラブチームを育てた名監督から弓の手ほどきを受ける。
社会人になると誰しも自由な時間がとりにくくなり、どんなスポーツでも練習場所の確保に骨が折れる。弓は、危険なのでとくに練習場所が限られるし、習う時間の確保が相変わらず困難なため、弓がしばらく埃をかぶっていた時もあった。
さて、岡田さんと行動を共にするようになって、3年たった。執行部入りしてからは毎日が精神的なプレッシャーとの闘い、危機管理やマスコミを担当し、気が抜けない、党内合意を作り上げる苦労の毎日が続く。
好きなクラシック音楽を聴くと、気が静まるどころか、逆に滅入ってしまうようになる。しばしでも仕事を忘れて自分と向き合う時間を作る重要性を感じ始める。
ふと弓を引っ張り出し、また、練習を再開する気になった。団体スポーツではないので自分の時間ができた時に、いつでも練習できる、これが何といっても魅力だ。弓を始めて夜、眠りが深くなった陽に感ずる。
また、地元でいい指導者にであった。北九州のシンボル皿倉山の頂にフィールドアーチェリーを併設した愛好者のクラブ(皿倉アーチェリークラブ)があり、かつて世界大会に出場した選手を含め、アーチャーたちが家庭的な楽しい雰囲気で弓を練習している。ホームページを検索して探し当て、出かける。
ビギナーですが入会できますか、と最初質問したところ、弓はみんなで仲良くうまくなっていくものだと言われ、部品の取り付けや使い方を懇切に教えていただいた。早速そこに所属し、地元で時間ができると山に登って、5段の師匠や諸先輩からレッスンを受けるようになった。
また、九段議員宿舎に大きな巻きわらの的とうしろに畳2枚をたてかけ、連日のように10歩離れた部屋の端から矢を射る練習に汗をかく。自宅の庭にも的を作った。的は、動物写真ではない、宿舎に来る番記者さんたちからよく冷やかされたが、もちろん政敵のポスターでもない。直径10センチの円である。
弓は、かつては狩猟で獲物をとり、戦争時には敵兵士を射る古今東西大切な道具だった。今、スポーツとして愛好者の数はテニス、ゴルフのようにメジャーではないかもしれないが、的の中心を射たときの爽快感は言葉にならないほどだ。がさつな自分には精神統一、修養にもなるだろう。自然の中でいい空気をいっぱい吸い、ストレスや憂さが晴れることが、弓を続けている理由だ。標的は自分の弱さ、邪気だと思っている。
弓は強いほど正確に遠くまで飛ぶ。地元では34ポンド、東京宿舎では38ポンドの弓を使うが、身体をきたえてもっと強い弓を引けるように、それを励みに精進したい。
アーチェリーの本を読んでいてパラドックス現象と言う言葉に出くわした。矢は、くねくねと蛇行しながらやがて修正されてまっすぐに的に飛んでいく。最初から矢はまっすぐに飛び出さない現象をいう。政治活動もどこか似ている、最近そう感じる。
北九州交響楽団の創立50周年に寄せて
50周年、誠におめでとうございます。
音楽が飯より好きな自分にとって、地元に歴史のある交響楽団が活躍していることは大きな誇りです。レコードで世界の名演奏を聴くのと同じように、時にはそれ以上に、ライブの演奏会で聴衆は感動を覚えるものです。東京から骨を埋める気持ちで北九州市に来たのは1986年の春ですが、時間があれば演奏会に出かけ、ブラボーと叫んでおりました。清原団長をはじめ音楽文化を支える演奏家の皆様のご活躍は、まぶしいばかりで、ファンの一人として交響楽団を見守ってまいりました。ブラームスの交響曲を聴いたときの感動は忘れられません。
2007年のサマーコンサートでカルメン前奏曲の指揮をさせていただいたことは、生涯の思い出となるでしょう。楽団員の皆様には大変ご心配をおかけしました。実は、私も演奏会の半月前から、緊張でよく眠れず食欲もかなり落ちました。生まれてはじめて指揮棒をにぎり、大庭三紀先輩に特訓を受け、当日無事フィナーレを迎えたときの喜びは、言葉に言い尽くせません。ありがとうございました。それにしても、私ごとき素人の迷指揮に惑うことなく、若干早めのテンポでしたが、立派な演奏をされた楽団員の腕前は秀逸であり、心から拍手喝采をおくります。
その指揮の練習の際、ベートーベンの運命のリハーサルをしばし見守るチャンスを得ました。技巧的にも芸術的にも最高のセンスが求められる作品。仕上がりの過程を見ていた自分には、当日の演奏は、最後までスリリングでしたが、深い感銘をうけました。コンサートが終わって、懇親会で楽団員の皆様と楽しく歓談した際、オーケストラの仲間のチームワークの良さに歴史と伝統をあらためて感じました。
音楽は、音の楽しみです。同時に、落ち込んだとき、試練のとき、ミューズは私たちを勇気づけ、慰め、癒してくれます。多くの芸術の中で、音楽は、ときに鬼神をして泣かしむる、そんな名状しがたい力をもった最高の芸術だと思います。これからも北九州の音楽文化発展のため、北九州交響楽団のますますのご隆盛を祈念しております。
僕の選んだ映画ベスト10
映画は大好きです。3本続けて見ても疲れません。昔の白黒映画に比べて、現在のカラー映画時代の監督の表現力には、つい愚痴がでてしまいます。若いころに感激した作品が、僕の選んだ印象に残るベスト10の中心です。
バーグマンの凱旋門、カサブランカ、オーソンウエルズの第三の男、チャップリンの街の灯、ゲーリークーパーのモロッコ、ジョンウエインの駅馬車。
さてここからはカラー作品ですが、
バラバ(キリスト処刑の代わりに免罪になった男の物語)、芙蓉鎮(文化大革命の中国を生き抜いたけなげな女性の物語、感動的な傑作です)、ケビンコスナーのJFK、そして忘れてはならない過去を記憶するために、ラストエンペラーです(日本、中国作品とも傑作です)、、、
18,19世紀前半は音楽の時代、19世紀末から詩と美術、20世紀は、映画の時代と思います。
踊りは、ニューヨークハッスル
もう15,6年前でしょうか。
鉄鋼労連出身のWさんが、たしか室蘭のかくし芸大会で、恋のイスタンブールを歌いながら踊った一人ダンスは、抱腹絶倒の至芸であったと語り継がれています。それまで無芸大食の日々を過ごしていた自分にとって、そのリズミカルなW氏の舞台はまさに衝撃でした。みんなと拍手喝采を送りながら、その時、密かに自分も何か踊りをマスターしようと思い立ったのです。
あれから月日は、流れました。決して三日坊主ではなかったのですが、こればっかりは、予想とおりやはりものにならず、結局今では、健康のため回りに人けがないのを確認してから、時々トライすることに落ち着きました。ですから完全非公開です。
それは、僕の大好きな韓国のヤングヒットミュージックのビートに合わせて、巨体をゆすることです。
ポアゾン、イヴエキョンゴ、クニョワルイビヨル、純情、ビングルビングル、パランなどの曲にのって軽快な(?)ステップを踏むのです。人は、見かけによらないんです。
とくにニューヨークハッスルは、やせるにはもってこいのダンスで、万歩計で計ると一曲500歩くらいです。これで5キロはダイエットしたでしょうか。健脚の維持にもバッチリです。
この20数年間、音楽といえばドイツのクラシック音楽しか興味がなかったのですが、日韓議員サッカーチームのメンバーになって、訪韓した時に空港で何気なく買ったカセットを聞いてみました。韓国にええミュージックがあるばい、と感じたのがきっかけです。この韓国のヤングダンスミュージックは、ビートルズ以来の世界的なヒット曲ではないかなと思ったりします。チャンスがあったら一度聞いてくださいね。15歳くらい若返る感じです。楽しい音楽ですよ。
2002年サッカーのワールドカップは、日韓両国にとって、不幸な過去の歴史を乗り越える大切なチャンスであり、歴史的な平和の祭典だったと思います。ヤングダンスミュージックに限らず、韓国の芸術文化がこのイヴェントを契機に世界に発信されることを、元日韓議連の一人として期待しています。
朝は、やっぱり和食です
男子、厨房に入らず、とは、おそらく20世紀までのお話でしょう。21世紀になると男子、厨房にいりびたることにならないでしょうか。男女共同参画社会をめざしてゆくと、男性の生活行動パターンも変化するからです。
さて料理が趣味という男性は、現在何%いるのでしょうか。自称グルメは、結構まわりにいますが、料理の腕に感心させられたという経験は、僕の場合、極めて例外です。それでもカレーなんかは、男料理のベスト3に入るんでしょうか。
私の友人に、あく抜きでオリーブの葉をたくさんいれる凝り性の男性がいます。隠し味のお酒にワイン(おすすめでした)、日本酒、焼酎、ブランデー(これは駄目だそうです)などをためしてみたり、ジャガイモはとけて味が崩れるから入れないといいつつ、何とりんごをすって混ぜたり、とにかく研究熱心な人でした。私が教えをこうと、彼は、哲学者のような顔をして、しょうゆ、バター、おろしリンゴのベストミックスでカレーの味は決まると言っていました。
私のお気に入りは、25年前から赤坂の有名なカレー店ですが、ここのライスは、スライスした干しぶどうを少し入れていためているのです。薬味は、チーズを細かくきざんでいて、これらが、カレーの辛いあじとうまく中和して、チーズの嫌いな僕にも結構いけるのです。これを我が家でやってもらおうとおもうのは、手間がかかりすぎて多分無理でしょうね。頼んだことはありませんが。またカレーは、ルーを手製で作ったものには、かないません。私の大こうぶつは、カレーうどんです。国会内の蕎麦屋さんで週1、2回は食べています。消費税込みで320円です。これだけ食べてもあきない、カレーこそは、料理の傑作だと思います。私は、いつもカレーをフォークでチビチビ食べます。スプーンだと5、6口で終わってしまうからです。
さて大根は、地方によっては、医者いらずとか、医者殺しと言われるほど、健康にいい素材です。この大根をすって、ダイダイをしぼる、七味にしょうゆ、この簡単な食材ですが、作る人によって味は、実に微妙に変化します。地域の餅つき行事などで時折すばらしい味に出会います。
おでんの女王は、大根ですよね。大根をおいしくたくさんたべさせる、料理の達人のなせる技ですよね。
ところで私はポン酢が大好きです。タコ、ひも、いかげそなど、僕の好きなさしみには、必ずポン酢を注文します。しかし、ポン酢に、もみじおろし、香辛料、実に簡易な組み合わせですが、なぜか、数回に1回位しか納得のいく、いい味には出あいません。実にむつかしいメニューだと思います。
さて僕のグルメをひとつ紹介します。競馬やボートの選手にファンが多いらしいのですが、高タンパクでしかも肥えないという理想的なメニューなんです。それは、結構高いので、1枚を2,3回に噛んで分けてですね、あの鯨ベーコンをです。気に入ったポン酢に泳がせて、肺炎をおこすような冷たいビールが合います。これは、もうこたえられません。
野菜を楽しく食べるには、ドレッシングが欠かせません。市販のものは、なかなか口にあいませんね。私の少年時代は、塩をふるかマヨネーズで十分でしたから。そもそもドレッシングの文化が、自分にはなじまないのでしょうか。ドレッシングすなわちブルジョワ文化と本気に思っていたくらいです。ですから子供が、それぞれ自分の好きなドレッシングを選んでバリバリ野菜を食べるのを見ていて、うらやましいなと感じます。
最近、マイドレッシングをもたないまま、後半の人生を送るのもさびしいことだなと妙に考え込んで、自分に合う味を求めて、地球上を探し回ろうかと思ったりします。それよりマイドレッシングの作り方を気のすむまで、九段の議員宿舎の台所で研究してみましょうか。これだというのがあったら、ぜひ教えてください。
昔、日比谷のオムレツ屋に、一度行ったことがあります。何でもそこの常連客に吉永小百合さんがいらっしゃると聞いたものですから。残念ながら当日彼女はいませんでしたが、そこのプレーンオムレツは、最高でした。料理の腕前は、卵を焼かせて、だしをとらせれば分かると聞いたことがありますが、完全に納得です。
安い食材にたっぷりの付加価値をつけるのが、料理の真髄なんでしょうか。それがわかるようになって、グルメといえるのではないかと思ったりします。この年になって、ようやく少し知恵がついてきました。
ところで、私は、朝飯はご飯でないと、一日調子が出ません。国際化がこれから進み、女性が社会に進出することを考えると、パンの方が、合理的な食習慣だとは、思いますが、三つ子の魂、百までといいますね。食習慣もどうやら人間の性格と同じようです。
現代は、飽食の時代といわれます。外国に出ると、日本人の食文化は、つくずく世界で一番ぜいたくだなと感じます。欧米人は、意外と質素ですね。日本の食費が高いのも無理はありません。外食してみると、内外価格差は、歴然です。
ドイツでは、ジャガイモ、ソーセージ、チーズ、酢ずけの魚、、、一体ドイツ料理における付加価値とは何であろうかと考えてしまいます。でもドイツ人はおいしそうにビールをつまみなしで飲み、ジャガイモ料理をせっせと食べますね。
昔、ハイデルベルグの老舗のカフェテリアで一番人気のジャガイモ料理を注文しました。よくふかしてすりつぶしたいもがおなべに入っているだけで、あとは、塩をふってどうぞというメニューです。あー、ここはドイツだったかと観念して、店内を見回すと、その店には、ニーチェなどの有名な哲学者の写真がたくさん飾ってあり、何でも彼らは学生時代に常連客だったそうです。ゲルマン文化の一端を見た思いがしました。そう思って、食べだすと、実に甘いとろけるようなジャガイモでした。さすがは、ドイツ老舗です。
アメリカでおいしいと思ったのは、手頃な値段のワインとかぼちゃのスープくらいで、パンも果物、肉料理もさっぱり感動しません。数年前、在米の日本人との昼食会のセットをお世話したことがあります。ニューヨークの一流ホテルでハイランクの料理を注文したのですが、これが不評で幹事役の私は真っ青になりました。日本のコンビニで売っているほうがずっといい味ですよ。
ワシントンのコーヒーショップでは、あんなコーヒーの入れ方でよく満足できるものだなと、少々驚きました。その時正直いって自分はアメリカには住めないなと観念しました。私は、どうしても香りにこだわってしまうのです、しかも極薄のアメリカンコーヒーを毎日数杯のむからです。
ところで、デザートの豪華さは、欧米食文化の華ですね。
食文化をはじめ、日本人の文化慣習、ビヘイビャーは、極めてデリケートです。国際化の時代になって、日本人は、しぶとくそして親しく外国人と対等に張り合っていけるのでしょうか。
紅茶は胃腸に大変やさしい
イングリシュテイー、紅茶の世界も好きになると、奥行きはなかなか深いようだ。
私の知る限り。コーヒーの名店は少なくないが、紅茶は極めて少ない。僕の知る限り、赤坂プリンスホテルの喫茶店は、紅茶の入れ方がすばらしく、おいしいことで有名だ。
また、メニューの解説がテーブルにあり、少しメモをしてきた。
ダージリン
紅茶のシャンパンと言われる様だが、オーソドックスな味の有名な紅茶。味覚の鋭敏な人には、花やフルーツの香りがいいらしい。
アッサムは、濃厚な味わいで、ミルクと相性がいいといわれる。しかし、レモンティーが好みの日本ではほとんど出くわさない。
ウバは、3大銘茶の一つとされ、強い渋みとコクが特長で、ミルクテイーに合う、とされる。これも日本では珍しい。
セイロンは、ヌワラエリヤ地方のお茶で、わが国では大衆的なブランドでポピュラーである。
キーマンは、エキゾチックな香りと柔らかな味が売りで、ストーレートまたはミルクテイーで飲むらしい。まだ口にしたことはない。
さて、フレイバード、ハーブテイーは、香りが独特で自分にはなじみにくいが、アールグレイは、ベルガモットの香りがし、アップルテイーは、青りんごのフルーテイーな味、くつろぎのひとときにあうそうだ。
お湯を注ぐと、香りはかなり強く、レモンでは合わない。しかし、アイステイーは、通によれば、アールグレイがおすすめらしい。
腸の検査をするときは、前日から絶食してお茶やコーヒーなど水以外の飲み物も原則禁止されるが、例外がひとつある、それは紅茶である。胃腸にやさしいドリンクだと名医から聞いている。
音楽は、やっぱりドイツかな
何度も自分で言うのは、妙な感じですが、人は、見かけによりません。実は、私は、シューマンの音楽が、死ぬほど好きなのです。あのー、シューマイではありませんよ。学生時代、楽器と言えば、ホラしかふけなかったのに、厚かましく日本シューマン協会のメンバーにいれていただきました。会員番号は、ニ短調交響曲の作品番号からとった120番でした。
ただ17歳まで私は、クラシック音楽が大嫌いでした。その良さはさっぱり分かりませんでした。それがどうして、この30年間、音楽なしの生活は考えられない位に好きになっていったのです。
もし、今、好きな作曲家を3人あげるとすれば、ためらわずベートーベン、モーツアルト、シューマンをえらびます。5人ならば、バッハとシューベルトが加わります。7人ならば、えーと、ショパンと谷村新司かな。
しかし私は、高校2年まで、クラシック音楽とは、まったく無縁でした。少年時代は、笛吹き童子といわれるほどリコーダーにこりましたが、中学になって相性の良くない先生から楽典なる授業をつめこまれ、とたんに音楽が嫌いになりました。ですから、今でも勉強が好かんという子供の気持ちは、自分なりに分かるような気がします。ですから成績が落ちても何にも悩むことはありません。先生のせいにすれば良いのです。そして、いつまでもめげてないで、気持ちを取り直し、又頑張ることです。
高校2年のとき全共闘の運動がキャンパスを席巻した時、友達のすすめで私は、ノンポリ派の代表として生徒会長に立候補したのです。3学年12クラスを昼休みの間に立会い演説をしてまわりました、そして当選、生まれて初めての選挙運動でした。その時の参謀役の木村君は、慶応大から新日鉄に入社し、活躍していましたが、八幡出身のご令室とお子さんを残して、30代で急逝されました。最後まで、私の総選挙を心配し、病院を抜け出して議員会館に会いにきてくれました。今から思うと、彼は、その時すでに死期を予感していたのかもしれません。僕にはもったいない友人でした。衷心よりご冥福をお祈りします。
さて校則の自由化問題で、私は、規則の遵守を励行する立場をとったため、学生運動派のグループから守旧派と非難され、彼らと厳しい対立緊張関係に陥りました。全校集会で自己批判を迫られたこともありました。連日、悩みましたね。結局、学校で高熱のため倒れ、2ヶ月も入院生活です。高校3年の夏でした。体力にはまあ自信があり、高校では、マラソンで一番でしたが、この時は心身ともに限界でした。9月にやっと退院して、復学したのですが、受験の切迫感、プレッシャーと虚脱感でうつろな日々でした。当時、私は、京大の哲学科に志望を変えたいと思いましたが、父からは絶対反対といわれ、精神的に最悪の日々を送っていました。
その頃、ひょんなことから、ベートーベンの運命を耳にしたのです。それまで堅苦しく、しんきくさい、お勉強の延長のような、あるいはブルジョワ文化のアクセサリーにしか思っていなかったクラシック音楽が、これほど弱い自分を勇気ずけ、晴れ晴れとした気持ちに変えてくれるとは。
ベートーベンをきっかけに、音楽が、その日から心の友になりました。日本の芸術愛好者は、耳の聞こえなくなった彼が一度は自殺を考え、思いとどまり、バッハ、モーツアルトに続く偉大な音楽家に成長してゆく姿、つまり真摯な求道者のイメージを強調することが多いのですが、私はむしろ、義理と人情に厚い熱血漢で、ふられてばっかりだけど恋多きロマンチストの一面にほれるようになりました。
若い頃の名作、月光、悲愴、ピアノコンチェルトの4番、5番、ヴァイオリンコンチェルトにみられるロマンテイシズムは、年をとってもまったく変わりませんでした。真の芸術家は、死ぬまで青年です。政治家もそうありたいと思います。最後のピアノソナタ32番のアダージョ、弦楽四重奏14番などに歌いこめられた憧れのファンタジーに、今でも深く感動します。晩年という言い方は、彼にはあてはまりません。
クラシックが嫌いだったのに、高校時代のベートーヴェン体験から、多くの音楽作品に出会いました。