実相寺の演出、せりふは楽しく時に大胆である。シカネーダー一座の楽しさが伝わってくるようだ。
パパゲーノが主役だが、タミーノ王子とパミーナ姫の恋物語が舞台の主役の感あり。
パパゲーノに2回、実相寺に1回、ブラヴォーをおくる。
モーツアルト 弦楽3重奏のためのデイベルテイメント K563
ウィーン時代、借金で首が回らなくなっていたモーツアルト。彼を一番面倒見たのがフリーメーソンの仲間で金持ちの商人プフベルクだった。モーツアルトが彼に借金を頼み込む手紙がウィーン時代の4年間に18通現存すると聞くが、おそらく酒を浴びながら情けない気持ちで書いたと思う。読んでいて悲しくなってくる。その後返した様子がないので、無心だったとも言われているが。
彼は、この恩人プフベルクからの注文を受ける形でこの曲を書いた。他にもプフベルクには気を使っている。なかでも次のエピソードがある。ハイドンに献呈された弦楽4重奏の傑作をモーツアルト家で初めて演奏する場に、居合わせたのは、ハイドン、モーツアルト父子、そしてプフベルクらであった。これをみても、まさに大スポンサーである。カネに困った作曲家を最後まで面倒みた稀有のタニマチである。
作曲の動機は、カネのためだが、作品は最高の傑作である。巨匠としての風格、技巧は言うまでもない。音楽の静かな語り、愉悦、時折嬉々としてまた、物思いにふけり、甘美な過去を想起するような楽想と、手を変え品を変え、6楽章40分余で聞くものを心から和ませてくれる。好きなお酒のグラスを片手に目を閉じると、時間は止まる。3重奏の形式は珍しいが、プフベルク自身が好きな演奏スタイルだったようで注文者の要望だったと言われている。
バッハ
2つのバイオリンのためのコンチェルトBWV1043
感情の発露を抑制した古典派の時代にあって、わずか17分の時間で何と深い情感を表現していることか。
学生時代に、僕は、美学の渡辺教授の門をたたいた。モーツアルトのオペラと言うテーマのゼミナールに通ったが、先生のモーツアルト、ベートーベン評には今でも最も共感している。また、ドイツ文学の石井助教授のシューマンのリートのゼミに入った。君は花のように(Du bist wie eine blume.)の感想文を提出したことは、忘れられない。最後に杉山教授のバッハのマタイ受難曲のゼミにも参加した。
バッハは学校の教科書で音楽の父と習い、オルガンや受難曲のいかめしいイメージをいつも思い浮かべていた。ある日、全共闘の活動家で官憲から追われていた寮生の友人から紹介され、もうひとつの顔があることに気づいた。あの時代に、教会で生きていたオルガニストが、こんなにロマンテイックに心情を吐露しているとは、驚きである。
ヴィヴァーチェで、誰しも現実を忘れる。楽しかった過去の一時にタイムスリップするようだ。
せつなく甘美なラルゴで思考は停止してしまう。
アレグロの展開は、時折すすり泣くように、モーツアルトのト短調交響曲の哀しみの疾走のように、師を裏切ったあの朝のペテロの慟哭のように、聴くものの感情を激しく揺さぶる。
平均率クラビア曲集を聖書にした若き日のモーツアルト、ベートーベン、シューベルト、シューマンは、この曲で、バッハをあらためてわが師と思ったに違いない。
韓国のヤングヒットミュージック
このビートに合わせて、巨体をゆすると、かなり痩せる。
ポアゾン、イヴエキョンゴ、クニョワルイビヨル、純情、ビングルビングル、パランなどの曲は、ステップを踏んでみる。
この20数年間、音楽といえばドイツのクラシック音楽しか興味がなかったのですが、日韓議員サッカーチームのメンバーになって、訪韓した時に空港で何気なく買ったカセットを聞いてみて、好きになる。この韓国のヤングダンスミュージックは、ビートルズ以来の世界的なヒット曲ではないかなと思ったりする。
モーツアルト オペラ魔笛
モーツアルトが亡くなる年の傑作オペラ。
評論家によれば、世のモーツアルテイアンは、魔笛派か、ドンジュアン派に分かれるそうだが、これでいくと僕は魔笛派である。
この30年間、ベーム指揮、ウイーンフィルの演奏が耳にしみついているが、最近はフルトベングラーの演奏をよく聴く。
序曲冒頭のファンファーレは、3回どこかの扉をたたくように厳かに響き渡る。フリーメーソンの儀式を連想すると言う人もいる。こことの関係はモーツアルト研究の1テーマだが、音楽は、本来出版されると作曲家の手を離れるわけで、あまり背景を気にしないほうがいいと思う。
軽快な合奏。あの馬車の時代に生きながら、エフワンに象徴される現代のスピード感にも通ずるリズム。しかもエレガントな曲想の展開は実に見事だ。
何でもオペラの筋書きが作曲途中で変わったらしく、深く考えれば少しどうかなとは思うが、聴く者は、最初から素晴らしい音楽をお目当てにしており、オペラのドラマ展開としても気にはならない。
パパゲーノと言う魅力的な脇役キャストが真の主役と言える。デイスカウやプライの歌唱で何度聴いてもまったく色あせない歌だ。パパゲーナとの二重唱は、彼のどんな歌曲やアリアよりも素晴らしい。Mの素顔が見える。
13管楽器のためのグランパルテイータ
ウィーンでの作品第1号は、究極の癒し音楽の言葉にふさわしいグランパルテイータK370aであった。
13管楽器が13楽章の小宇宙を奏でる。なかでもあのアダージョの優しさは比類がない。木管楽器のまろやかな音の響きと聞き手を飽きさせない微妙で精緻なテクニックの駆使で、音色を心行くまで楽しませてくれる。疲労感が溶けていく感じだ。ザルツブルグから移住してきた若きモーツアルト。その芸術をウィーンの音楽ファンは、当時どう迎えたのだろうか。大半の聴衆は、なかなか良かった、くらいだろう。
しかし、耳のある人は、前衛的な美学の結晶に驚愕したのではないか。当時最も大衆の人気を博していた、あのサリエリなんかは、人間業を超えたこの作品のすごさに背筋が凍りつき、顔面蒼白になるほどの衝撃を感じたにちがいない。
彼にとっては、悪魔のようなライバルの出現である。
この年に彼が世を去ったとしても、永遠に作曲家として名をとどめただろう。
ロベルト シューマン
交響的練習曲 作品13
27歳の時の初版だが、24歳から25歳にかけて作曲した作品といわれている。
クララに想いを寄せる前に、ロベルトには、短期間婚約していたフリッケン男爵の娘がいた。その父の口ずさむ一節から主題を取ったといわれる。あれこれ批評しているうちに、エチュードのイメージがわいてきたのだろうか。
これは、古今東西の音楽作品の中で、僕の知る限り最高にロマンテイックなピアノファンタジーである。ただ、シューマン本人は、一番の傑作は、幻想曲ハ長調と言っている。愛妻クララの気持ちを考えると、昔つきあっていた女性の思い出に作曲したものをいいと言えるはずもないだろう。でも最高の傑作だ。
主題の静かな短い歌いだしは、たとえようもなく美しいシルエットに出会った時のようだ。あとに続くバリーエーションにくっきりとその光景が浮かび上がってくる。そこには秘められた想いの告白、無限のあこがれ、もの哀しい夕暮れの湖畔でのたたずみ、寂しい魂のモノローグ。
現実の重苦しく鎖につながれたような無機的な情景を忘れさせる、歓喜に包まれたフィナーレは彼のピアノコンチェルト、ニ短調交響曲にあい通ずるものだが、本当に数少ないロベルト愉悦の世界だ。輝かしいフィナーレを聞き終わるとき、ブラボーと叫びたくなる。
ロベルトの死後、変奏曲の順番をあれこれ議論して並べたかえた二人がいる。クララとブラームスである。
学生時代から、この名作が一番好きだった。市販されているレコードは、ほとんど聴いてみた。なぜシューマンは、クララと7人の幼い子供を置いて、44歳という若さでライン川に投身自殺をはかったのだろうか、聴き終わったあと、いつも解けない疑問にぶつかってしまう。
都に雨の降るがごとく
谷村新二のアルバム。詩も音楽も大衆的ではないが、ひめたる大人の恋を歌ったものか、音楽的には魅力がある。
ドヴォルザ−ク スラヴ舞曲
ドヴォルザ−クと言えば、新世界(シンフオニー9番)が有名だが、叙情的な美しさにおいては、通称ドヴォ8こと交響曲8番が素晴らしい。さらに魅力的なのが、哀愁をたたえた甘美なメロデイー、華麗なリズムで知られる舞曲の数々は、まさに傑作である。
マーラー 巨人交響曲1番
20台のころ、深く共感し、ブルーノワルター指揮のレコードがすりきれるまで聴いた曲だが、20年くらい聴いていなかった。あまりに激情的で重たく、感傷的で、正直大変疲れてしまうだからだ。深い哀しみと同時に諦めの情感がただよう後期の作品とはかなり趣きが異なる、胸の内をストレートに大胆に表現していく、青春の悲痛な叫び、解決の歓喜のフィナーレは圧巻である。
ジャック ルーシエ トリオ
ジャズの名曲は数多いが、このトリオは、バッハの音楽をジャズにアレンジしてレコードにした。味わいがあって、10数年来、あきないアルバムで重宝している。ジャズに編曲されても魅力があせない、それどころか一味違った楽しい音の世界が開けている、さすがに大バッハだ。
ところで、舞台神聖祝典祭劇パルシファルは、清らかな愚か者の意味。悔恨と救済をテーマにしたパルジファルの音楽は、前奏曲は本当に良くできているが、全体を集中して劇として鑑賞するには相当にハードだ。学生時代は、不謹慎だが、寝るにはこれだ、と思ったほど。ドイツ語のテキストに不覚にもよだれをたらしながら、20分もたつと寝むり込んでしまう。何十回も眠りにつきながら、全体をようやく認識した作品だ。ドイツ人もテキストに精通していないと、舞台のドイツ語のせりふはよく分からない、と学者から聞いたことがある。バイロイトで観劇したことはないが、前衛的な映画フィルムを昔、一度見たことがある。実に難解だった。最近、第1幕を聴いてみたが、時間がもったいないと思った。
戦いで傷つき良心の呵責にさいなまれるアンフォルタス王を救済するのは、パルシファルという若者だった。中世の有名な円卓の騎士のドラマでは、アーサー王と呼ばれたが、このドラマを改作して音楽をつけたらしい。
ワグナーにとって、音楽とは、所詮、神秘的で華麗な古代の舞台を演出する侍女でしかなかったのか。モーツアルトやベートーベン、シューマンの世界とはかなり様相が異なるようだ。