2004年7月
日英議員連盟としてロンドン・パリを訪問 余談編
7月14日(水)
小沢さんを先頭に、鳩山、米沢、横路さんたち民主党議員一行とヨーロッパを訪問する機会を得た。15人の議員が参加、自分にとって、ロンドンは初訪問である。
成田からロンドンまで12時間半の長旅。
いつもは前の晩に徹夜で映画を見、飛行機でシャンパンを一杯やって、ぐっすり寝入るようにしている。起きたまま10時間以上、じっとしているのは苦痛だ。目が覚めたら、北欧の沿岸部が眼前に見えてきた。絵のように美しい。
ヒースロー空港からホテルまで1時間強、時差ぼけのせいかもしれないが、ハイウエイから見える初めてのロンドン市街は、意外に豊かさを感じなかった。空きビルも目立った。
宿について、早速みんなでしばらく散歩することになった。
一時して日本のテレビ局が密着取材でカメラを回しているのに気がつく。散歩の途中でロンドン通の小沢さんたちと別れ、僕たちはピカデリー広場の繁華街に向かう。視界が開けると、そこはトラファルガー広場、たくさんの若者が楽しそうにだべっている。初めて味わうロンドン体験。着ているものは、日本のようにファッショナブルではなく、地味に見える、世界中の若者がその広場に集まってきた感がある。
散歩から帰って、夜は外交官を交えた夕食会。政治経済文化、どんなことでも質問し、情報が得られるので有意義な会である。
お豆のコールドスープを一口飲んでびっくり、なんという美味であろうか。イギリスの童話、ジャックと豆の木を思い出す。豆はイギリスが本場であった。まさに完璧のスープ、ロンドン滞在中、最高の料理だった。
その夜は、持ってきた愛用のMDでシューマンを聴いたが、時差のせいか寝つきが悪く、結局ワインをぐっと飲んで眠る。
7月15日(木)
今日は、公務でびっしりの一日、必死にメモを取り、肩がこった。
午前は、ロード・ハウエル保守党上院外交問題スポークスマンとの会談が、上院のCommittee Roomで。歴史のある素晴らしい建築で風格を感ずる。ここでは、イラク戦争参加の理由と今後の展開を聞く。
次に、ビル・ラメル外務政務次官との会談が英国外務省でおこなわれた。なんと言おうとイラク戦争参加を肯定する。固い決意は微動だにしない。
午後は、英日議員連盟ロジャー・ゴドシフ会長(労働党)との会談が、Portcullis議員会館会議室で。
次に、リチャード・スプリング保守党下院外交問題スポークマン(影の外務閣外大臣)との会談がNo1 Parliament Buildingで。
会議録の抄は、別途レポートがまとめられる。
夜は、ミュージカルの傑作、オペラ座の怪人をマジェスターズシアターで、小沢さん、山岡さんと並んで観劇する。この劇場は、イギリス文化の誇る伝統の劇場と聞く。米沢さん、横路さんが通路の向こう側に仲良く並んでみんな1列で座った。素晴らしく臨場感のある芝居小屋で、主役の女性歌手の歌唱もはえ、感動した、第1幕終了時にはブラボーと喝采をおくる。
ヨーロッパでの観劇は、20数年前のベルリン国立劇場でのトロバトーレ、フランクフルト市立歌劇場での蝶々夫人以来だが、このミュージカルは世紀の傑作と言える。
夕暮れのロンドン市街をみんなで散歩しながら帰ることになった。僕からお願いしてロンドンの庶民的なパブに一行を案内していただいた。パブの内装、雰囲気はどこかクラシックな感じがしないでもないが、特段個性があるわけではない。
夜10時過ぎ、ホテルのバーで横路副代表と歓談する、ジャズの生バンド演奏の音量が大きかったが、シリアスな外交防衛問題なども話題になった。いいお話を聞かせていただいた。
7月16日(金)
午前は、世界的に有名な国際戦略問題研究所(IISS)へ。
ジョン・チップマン所長及びアダム・ウォード上席研究員(東アジア安全保障担当)との会談。かなり時間を割いてイラクはじめ国際情勢について意見交換する。
昼食は弁護士がよく集まる由緒ある古い建物へ、最初は教会か図書館とおもったほどだ。あのハリーポッターの映画に出てくる食堂のようなところで、バイキングを食べる。小沢さんと米沢さんが対面に座って、にぎやかに楽しく歓談している。ここでは、冷えたカレースープが気に入った。料理は国際的な味付けで、中身は平凡だが、ステンドグラスをふんだんに使った建築は、歴史と伝統の重みを感じる超一級品だ。
食事が終わって建物を出ると、密着取材の日本のテレビ記者がカメラを回している。同行取材を認めていなかったので、小沢さんも不機嫌になった。このシーンが日本で報道されたと後で知った。党本部のマスコミ対策の責任者の一人として、団とテレビ局の関係が円滑にいかなかったことをロンドン滞在中、ずっと気にやんでいたが、振り返ってみて、ここがクライマックスだった。
昼下がりに時間ができた。全員でバスに乗り込み、名所を訪ねる。
イギリスの暗い影を伝えるロンドン塔、ヘンデルの水上の音楽が演奏されたテムズ河のほとりの公園、世界で最初のガス灯のあるクラシックな官庁街、宮殿前広場などをみんなで歩く。しかし、ロンドンで一番感じ入ったのは、石造りの4階建ての高級アパート街だった。整然としたクラシックな町並みは、太陽の沈むことのない大英帝国の時代の力を彷彿とさせる。
次に、大英博物館に入る。無料には驚く。エジプトや古代の文化財が陳列されている。つまり略奪の殿堂だ。マルクスが勉強したと言う図書館にも寄る。
さて、夕食をスープだけいただき、おゆるしをえて、そっと団一行から90分ほど離れる。BBC交響楽団のシーズン初日の演奏会に急ぐ。会場のアルバートホールの壮麗さに目を見張る。ビクトリア女王が愛し先立った夫アルバートの名にちなんで建設されたホールである。歴代女王で一番夫婦仲が良く、大英帝国の隆盛のご時世だったと聞いた。ホルストの惑星を聞いて、急ぎ団に戻る。マスコミのことをしばし忘れて懇親する。童心に返ったような小沢さんの笑顔を見る。国会ではまず目にするこのない表情だ。
7月17日(土)
今日は、土曜なので官公庁、政治家との会談は、残念ながら無理である。
このため、チャーチルの生家訪問組と分かれて、ロンドン郊外で終日を過ごすことにした。車の窓から見える住宅街の緑の豊かさには感嘆する。商店のならぶローカルな町並みは、日本とどこか似た雰囲気がある。
横路さんが公務のため翌日一足先に帰国するので、イタリヤレストランで歓送夕食会が開かれた。イタメシの老舗と聞いて、メインデイッシュでパスタを選んだが、味付けのせいか、北九州に行きつけのいい店があって、その方がやはり口に合う。チーズを好まぬせいか、西洋料理にはどこか違和感がある。イタリアンは、日本が一番いい味を出しているかもしれない。横路、米沢、小沢3氏を囲んで歓談したが、政治の世界では主義主張とならんで人間的な信頼関係がきわめて大切と感じる夕べだった。
テレビ局の記者さんに、取材の件で、ご期待に沿えなかったことをお詫びした。パリには同行しないと聞いたので。
7月18日(日)
ロンドン滞在日程を終え、朝、ホテルを引き払う。
出発まで1時間あったので、午前中、ひとり近くのキリスト教会に立ち寄る。宿泊のガンダムホテルの真向かいにある。外形は古ぼけているが中は明るくきれいで、説教中は立ち入りを止められるが、一区切りの時には中に入れる。満席であったが、お世話をしているらしい女性の方に案内してもらい、さいわい座れることができた。2階席も一杯で、やはり女性の信者が圧倒的に多い。数百人のクリスチャンが熱心に説教に耳を傾けていた。席には、式次第と賛美歌と聖書が置かれていた。中年の男性と若い女性の間に座る。教義、宗派の仔細は不明である。
進行は、実に厳粛である。牧師の説教中は離籍を決して許されない雰囲気だ。日本の日曜教会とはだいぶ趣がちがう。黒いイブニングドレスで正装をした女性信者がひな壇に進み出る。賛美歌のソプラノ独唱だ。太鼓、ラッパの生バンドの伴奏は素晴らしい。続いて一緒に全員で起立して賛美歌を2曲歌う。説教はテトスへのパウロの手紙からの1節だった。
団の出発の時刻が近づいた。時間には遅れられない、しかし説教がなかなか終わらないので、時計を見ながら気が気ではない。もう時間だ、万やむを得ず、意を決し息を殺すように席をそっとたった。とたんに一斉にみんながこちらを振り返った。説教中なのになぜだ、と怒鳴らんばかりに視線が鋭い。深くお辞儀した。申し訳ない気持ちでうなだれて、教会を後にする。
イギリス体験で最も忘れがたいエピソードであった。
いよいよバスで出発、ロンドン駅からユーロスターにてドーバー海峡を渡りフランスへ。列車は幅が狭いが、快適である。4人がけでテーブルを挟んで小沢、山岡、米沢3氏と座る。
国会日程が話題になったので、早速僕が列車の中から日本に国際電話して情勢を把握して伝える。そこで若干意見交換する。
まもなく昼食の時間だ、ウエイトレスがワインを注ぎながら、飛行機の中と同じ雰囲気で、みんなで楽しく昼食を食べる。小沢さんの買い込んだパンが米沢さんを経由して僕にも回ってきた。大きいが、味は日本の売店で売っているのととくに変わらない。おいしくいただく。気がつくとドーバー海峡地下のトンネルを短時間で走りぬけている。始めて見たフランスの農村は規模が大きく豊かに見える。絵になるような美しい田園風景だ。小沢さんもみんな、食後、途中でうとうとしながら少し昼寝した、移動時間2時間47分はそう長く感じなかった。
降り立ったパリ駅は初めてだが、気候はさほど暑くない。駅を出ると、華やかな町並みや人の往来が目に飛び込んできた。素晴らしい、パリ駅前は、何と華やかで綺麗な町並みだろうか。大小でこぼこのビルが林立し、無機的な日本の新幹線駅前とは別世界だ。バスで市内観光をしながらホテルへ向かう。一行を大使が出迎えてくれた。政治経済情勢の説明を受ける。自分にとっては、24年ぶりのパリである。ホテルは、パリ中心部のコンコルド広場から歩いて数分のところにある。
7月19日(月)
午前、最初の公務でエリゼ宮へ。
入り口にパリ社交界の華ポンパドール夫人の小さな像がおいてある。さりげなく歴史を感じさせるエントランスだ。
モーリス・グルドー=モンターニュ大統領外交顧問(前駐日大使)との会談は、大統領府の一角の会議室でおこなわれた。大使時代に日仏関係の発展に尽力された日本通であり、彼の語る外交政策は明快である。イラクへの関わりについて詳しく話を聞く。フランスが動くとすれば、次の国連決議はいつどういうタイミングか、興味深い近未来のストーリーであった。窓から見えるエリゼ宮中庭の樹木はたいそう美しい。
終わって、議会前の有名な公園を散策する。初めてマロニエの樹を見る。サルトルの嘔吐に出てくる印象的な樹だ。旅行中に病気になったモーツアルトの母が、気分のいいとき、宿から休み休み散歩に来た公園でもある。
16:時、ケバル社会党国際担当スタッフとの会談のため、社会党本部を訪問する。党行事のため、幹部議員との日程はとれなかったが、中身の濃い意見交換ができた。この党は、議員政党的な体質は強くないと聞いている。
映画ムーランルージュは、映像も二コールキッドマンら役者も素晴らしい映画だが、モデルとなった店に連れて行っていただく。20数年前と違って、入り口が広く改装されたみたいだ。女性客も少なくなくショーは上品で、中国人客が多い。前に来たときはアラブのお金持ちがめだった。映画と違って、観客席は狭く、かなりの客が入っている。
目覚ましをふたつセットして休む。明日は、小沢さんの有名な日課の早朝散歩だ。
7月20日(火)
パリの早朝散歩は、忘れられない。
朝、5時過ぎに起床した。ホテル前で屈伸運動をしながら、(自分が愛称として使っている)オザワザウルスの登場を待つ。この散歩のために日本でいい運動シューズを買って持参していた。小沢さんの早朝散歩に初めてお供する。とにかく早足である。ゆっくり景色をながめるような散歩ではない、
まさに疾走だ。高校時代は、1500メートルを4分台で走っていたのに、小沢さんのあとについていくのがやっとである。信号待ちで助かった。ホテルからコンコルド広場、凱旋門に向かうシャンゼリゼ通り、エリゼ宮などを回って1時間で6キロのコースを歩く。人影はまばらでひんやりとしている。
終わってみんなでわいわいとホテルのレストランでバイキングの朝食会が始まる。日本食もあり、早朝の散歩のおかげで朝飯が最高にうまい。
短い滞在時間、寸暇を惜しんで、ひとり食後の散歩に出かける。ホテルから歩いて数分、リッツホテル、法務省のある壮麗な広場の一角に、ショパンが客死した建物を探して訪問するが、今は、超高級店になっていて、自分などとても入れる雰囲気ではない。喫茶店もないし、一本タバコを吸うことにした。吸殻はもちろん持ち帰った。
マリーアントワネットは、ギロチン広場(今のコンコルド広場)に護送された。表の大通りを一歩はいると、いたるところに昔の石畳の町並みがのこっている。道の広さは、馬車の幅が基本のようだ。彼女を乗せた馬車が通ったと言われる街角にしばしたたずむ。一本吸う。
さて、午前中の公務は、ドミニク・モイジ国際問題研究所(IFRI)副所長との会談。パリ市内の副所長のご自宅に伺った。中庭のある古いパリのアパートに入るのは初めて、入り口は、昔の馬車がやっと出入りできる程度に作っていると言う。部屋の広さは日本と同じく狭いが、本棚が壁一面にあり、大変おしゃれな応接間だった。机は楕円形で、予想外に多くの人が座れる、ここで1時間近く意見を交換する。副所長は、日本のテレビにもよく出演する著名な研究者である。論旨は明快で示唆に富み、日本の戦後責任の問題に話題は移った。ドイツの戦後の再出発の経験があるので、フランスなどが日本と近隣諸国との仲介を取ることも検討してはどうか、と述べられた。
午後、カンタン仏日友好議員連盟会長をはじめ超党派の議員団との意見交換。はじめて国民議会に入る。大使も同席する。
夕方、フランソワ・バイルー仏民主連合(UDF)党首ならびに党首がナンバー2と言ったサンティーニ副党首との会談。ここは、フランス政局の台風の目と言われている。民家を改造したようなUDF党本部の会議室ホールで意見を交換する。
移動中に、セーヌ川のほとりのアパートでモンテスキューの住居跡を見かける。
アポの合間をぬうように、オルセーの美術館を訪問する。
夕食会が終わって夜、ひとりの時間ができたので、さっそく散歩に出かける。ノートルダム寺院の夜の顔を見に行く。月夜に浮かびあがる寺院はまことに荘厳だ。そこから歩いて川沿いに、バステイユまで2時間ほど。モーツアルトが下宿していたと伝えられるアパートを途中探す。18世紀末と概観は変わっていないように感ずる中庭付きの古いアパートと石畳の狭い道。250年前、彼はここを歩いたのだろうか。バステイユには砦はのこっていない、礎石だけが路傍にある。
近くのカフェでビールを飲む。歩いて、てくてくホテルまで。途中、ルーブル東端に面するセントバーソロミュ寺院に来た。中世の有名な虐殺は、この教会の鐘の音を合図に開始された。自分は、悪魔の教会と考えている。
部屋に戻ってBBCのテレビドラマをたまたま見ていた。アメリカ映画とは違って全体的にシックなつくりだが、殺人事件がテーマである。日本と同じように愛憎と殺人のドラマが外国でも受けているようだ。
7月21日
朝の散歩は今朝も快適である、今朝はコースが昨日と違う。
小沢さんにとって、パリは自分の庭のようだ。コンコルド広場から、近くの遊園地公園は改修中で中に入れなかったが、セーヌ川のほとりは良かった、橋を渡って議会の方をぐるりと回る。緑のじゅうたんのような芝生を歩いてシャンゼリゼに戻り、エリゼ宮に出てホテルに戻る。
今日はパリの最終日、公務は入っていない。
団でルーブル美術館へ。2時間ほどまわるが、パリ在住の日本人ガイドさんはパリに美術留学した方で、絵画に大変造詣が深い。20数年ぶりにルーブルに入ったが、入り口付近や内装を変えていた。モナリザの前は、ごったかえしており、近づけない。写真撮影をガードマンに禁止される。
イエス像のコーナーで足が止まった。はじめて見る画も多い。
昼は、街角のカフェでにぎにぎしく会食となった。狭い店だが、店の前の通路にはパラソルとテーブル、いすがおいてあり、好天にめぐまれ爽快なこともあり、店内よりそちらの方が人気がある。庶民的な店だが、とにかく満員である。モノクロ映画で見るパリの面影を一番感じた一角だ。
買い物には参加せず、団からはなれて、ひとりカフェ街を散歩する。
めざすは、サルトル、ボヴォワールらが実存主義哲学を語り合ったというカフェ、2軒をはしごする。サンジェルマン教会の前にあり、交差点で時折クラシックジャズのバンドが演奏している。教会を訪ねる。並木道と車、人の往来を見ながら苦いコーヒーを飲む。古い店であることはトイレに行ってみると一目瞭然である。
タクシーでノートルダム寺院に急ぐ。広場は、観光客や出店でにぎわっている。ノートルダムのせむし男の戦前の映像には、クライマックスに教会の内外が舞台になる。教会前の広場は、完全に観光地化しており、何もなかった広場の雰囲気はない。教会の中は、厳粛なミサの最中、何と美しく荘厳なステンドグラスだろうか。
それから車で10分、ある教会を訪問する。
22歳のモーツアルトがパリ就職旅行中、随伴した母親が病死するが、その母親の告別式をおこなった教会と聞いた。古い建物、中は暗い、硬い長いすにしばしすわり、目を閉じてみる。モーツアルトは、父と姉をザルツブルグから呼ばず、ひとり母を見送った、どんな思いでこの椅子にすわっていたのだろうか。
もう出発の時間だ、急いでタクシーをひろい、車窓からジャンヌダルクの金色の像を見おさめて集合地点に。バスに乗ると空港までぐっすり眠ってしまった。
日本まで11時間半の旅、充実した楽しい1週間に思いをめぐらす。
ご案内いただいた小沢さんとコーデイネート役の山岡さんには、大変お世話になった。わがままにも時折プライベートに動くことに目をつむっていただいた。
パリがこんなに魅力的な街だと感じたのは、小沢さんの早朝散歩にお供したからである。
民主党日英議員連盟英国(含:フランス)訪問団報告
期 間:平成16年7月14日(水)〜7月22日(木)
訪問国:英国・フランス
訪問の目的
◆英国の政府、政党関係者や研究者に民主党の政策を説明することや、両国の経済・外交政策について意見交換および交換を行うことによって、民主党と英政党との信頼熟成を推進する。
会 談 日 程
○イギリス
7月15日(木)
9:15〜10:00 ロード・ハウエル保守党上院外交問題スポークスマンとの会談
(於:上院Committee Room G)
11:00〜12:00 ビル・ラメル外務政務次官との会談
(於:英国外務省)
14:00〜 ジェーン・グリフィス英日議員連盟事務局長(労働党下院議員)及び
ロード・リエル保守党上院議員との懇談
(於:Portcullis議員会館Thatcher Room)
15:00〜15:30 リチャード・スプリング保守党下院外交問題スポークスマン(影の外務閣外大臣)との会談
(於:No1 Parliament Building Room B)
7月16日(金)
11:00〜 ジョン・チャップマン国際戦略問題研究所(IISS)所長及び
アダム・ウォード上席研究員(東アジア安全保障担当)との会談
(於:同研究所)
○フランス
7月19日(日)
10:30〜 松浦ユネスコ事務局長との会談
(於:ユネスコ本部)
11:45〜 グルドー・モンターニュ大統領顧問との会談
(於:大統領府)
16:00〜 ケバル社会党国際担当スタッフとの会談
(於:社会党本部)
7月20日(日)
10:00〜 ドミニク・モイジ仏国際関係研究所(IFRI)特別顧問との会談
(於:先方自宅)
16:15〜 カンタン仏日友好議員連盟会長(国民運動連合)
(於:国民議会)
17:30〜 バイルー仏民主連合(UDF)党首との会談
(於:UDF党本部)
4.会談概要
ロード・ハウエル保守党上院外交問題スポークスマンとの会談
○訪問団よりの発言
・
イラク戦につき民主党は反対であること、国連の下での参加の可能性はあることを説明。
・
新たな安保理決議を得ずに国際法上の根拠が曖昧なまま戦争に突入したことが混乱の原因。
・
イラク戦は、9・11、WMD、先制攻撃と大義が変遷したことは問題。
・
IISS報告書ではイラク戦の結果、テロの脅威は逆に拡大したとされるが如何か。
・
安保理決議1546はできたが、仏独が動こうとしない。またこの決議に対する評価は保守党と労働党で異なるか。
○ハウエル保守党上院外交問題スポークスマンよりの発言
・
英国には、イラク・中東とEUとの2つの問題がある。保守党はイラク戦に賛成した。イラク問題は中東地域の安定の鍵を握る問題であり関与を避けることはできないが、ブッシュの発言と態度は配慮が足りず賛成できないこともある。ケリー候補が大統領となれば改善されるかもしれない。
・
イラク戦に関しては英国内の支持も半々である。イラク戦の最終的な評価はイラクの状況が改善するか否かで下される。
・
9・11にはイラクも関与していた。フセインはハマスなどのテロ組織を支持していた。これが先制攻撃につながった。
・
イラク戦の結果テロの脅威は短期的には拡大したが、長期的かつ広い視点が必要。
・
仏独はNATOによるイラク治安機関の訓練に消極的である。仏との関係は「結婚」のように難しい。
・
安保理決議に関しては、保守党・労働党とも歓迎しており評価に違いはない。
・
欧州憲法、ユーロ加入は不要である。英国民は保守党よりさらに反EUである。先の地方選で英国独立党が躍進したことはその証左。
ビル・ラメル外務政務次官との会談
○訪問団よりの発言
・ WMDの存在が確認されていない状態での戦争突入は正当性に欠ける。現状における自衛隊派遣に対し反対。
・ 日本の軍事的貢献につき、アジア諸国との軋轢問題が存在、その中で自衛隊は専守防衛に徹し、国連待機部隊を組織した上で、国連主導下での国際平和協力部隊による参加の可能性あり。
・ 日本はODA・国連分担金等で既に十分貢献している実態を説明。
・
日米相互依存関係下におけるイラク派兵の必要性の議論が存在。
・
北朝鮮拉致問題につき、数百人の未確認者が拉致されている可能性があり、この解決が日朝間の信頼回復の前提となる。
・
冷戦後の米国一局支配の一方で、EU、中国、ロシアが台頭してきており、米国の存在意義を見直すべき。米国にはっきりものを言うべき。
○ラメル外務政務次官よりの発言
・
ビジネス・投資・防衛・戦略的問題に関し、日英関係の重要性を強調。
・
英国として国連改革を推進し、安保理を拡大、日本の常任理事国入りを支持。
・
6者会合を通じて北朝鮮核開発計画を放棄するべく説得必要。
・
イラク問題に関しては英国でも世論を二分する状況であるが、フセインが過去に大量破壊兵器を保有かつ使用した事実、国連の査察に非協力的であったことを鑑みれば、対イラク戦は正当化される。
・
日本のイラク復興支援に感謝。イラクの人々の将来の再建のために尽力する必要性については意見の一致が得られると考える。
・
日本の歴史的事情は理解するが、英国もアジア諸国も60年前の日本と現在は異なることを理解していると考える。日本は様々な分野で積極的役割を果たしうるし、この点についての国内での一致が得られれば良いと思う。
・
軍事分野以外での日本の貢献については十分承知している。
・
英国はEUの一員として米英間の橋渡しをしたい。米国に対してはプライベートな形ではっきりとものを言っている。「ロードマップ」の進展の必要性についても米国に指摘している。
・
イラク問題では、英国から米国に対する働きかけがなければ国連の関与と支援をここまでは得られなかったと考える。
・
国連の改革は重要であり、国連が能力を高め、国連を通じて様々な課題に対応できるようになることが望ましい。
ジェーン・グリフィス英日議連事務局長(労働党下院議員)及び
ロード・リエル保守党上院議員との懇談
○訪問団よりの発言
・
来年の総選挙を英国のそれぞれの政党がどう戦うか。
・
日本の規制緩和は自民党が行っているとの認識は正しくない。自民党は規制の党であり、民主党こそが規制緩和の党であり、かつ闇雲な規制撤廃を行うのではなく、確たる考え方に基づくものである。
・
日本外交における日米関係、地位協定の問題、一方で中国との関係、北朝鮮問題がある。イラク戦争を通じ国民の間に日米関係に対する疑問が広がりつつある。
・
国連の機能強化が必要である。
○英国日英議連よりの発言
・
日本の金融庁の規制はいかがなものか。日本が2大政党制になっても規制緩和は引続き進められるのか。
・
規制緩和一辺倒は問題である。必要な規制は存続すべきである。
1980年代に日産が英国に工場を持った後、トヨタ、ホンダなどの自動車メーカーが次々と工場を持った。日本からの投資は英国の発展に寄与した。
リチャード・スプリング保守党下院外交問題スポークスマン(影の外務閣外大臣)との会談
○訪問団よりの発言
・
最近の英米関係について。
・
小泉総理はブッシュに盲従している。ブッシュと米国は別物であり、対ブッシュ関係以外の日米関係を損なう恐れがある。
・
日英はともに島国であり、天皇制・王室制を持ち類似している。英米は、双子の兄弟といわれるが、今後は、「日英」対「米」で外交を行うことを提案する。
・
本日の補欠選挙の情勢について。
・
民主党は英国を参考にマニュフェストを作成しているが、特殊な広報は行っていない。今回の参議院選挙の結果はむしろ敵失によるもの。小泉政権は確固たる政策を持たず底の浅さが露呈してきている。
○スプリング保守党下院外交スポークスマンよりの発言
・
サーッチャー・ブッシュ時代に比し、現在の英国はアメリカから見て弱いパートナーになっている。
・
保守党の中にはネオコンの影響力に対する反発から共和党よりも民主党との関係を強化したいグループが存在する。
・
英国はかつて中東に対し強い影響力をもっていたが、イラク戦争以降、中東に対する影響力は低下している。
・
保守党は米国との関係を以前のように平等な関係に戻したいと考えている。
・
米国との関係は「親戚」のようなものでありこの関係はずっと続くと考える。
・
日本からは多くの教わることがある。電車をいかに良く走らせるかという問題は現在英国が最も困っている問題の一つである。
・
1980年代に多くの日本企業が進出したが、皆高度な技術を持っており賞賛する。今後もこの力が維持されることを望む。
・
補欠選挙に関して、2議席とも労働党の議席であったが、労働党の支持は減っている。最近第3政党である自民党が勢力を伸ばしている。
・
日本の民主党の党勢拡大にあたり、”sound
bite”等、特別な広報戦略を取ったのか。ブレアはマニュフェストの内容を極端に短くし、「教育・教育・教育」と短いフレーズを繰り返すことによりメディアに出やすくし世論を操作した。
ジョン・チャップマン国際戦略問題研究所(IISS)所長及び
アダム・ウォード上席研究員(東アジア安全保障担当)との会談
○訪問団よりの発言
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シャングリラ会合への招待受諾表明。
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イラク参戦とWMD未発見につき問題提起。
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憲法の制約下、自衛隊の役割・あり方につき難しい議論となっている。日本が核抑止能力を持つことの議論も有。
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