11月9日
初めて降り立つ朝ぼらけのシアトル空港、朝6時半。映画Sleepless in Seatle「めぐりあい」の舞台で景観のいい町として知っているが、初めての訪問である。
北九州市の姉妹都市のタコマ市を訪問するため、シアトル、タコマの中間にある飛行場に降り立つ。ノースウエスト機で9時間の旅、シアトル・タコマ空港(Sea-Tac空港)は、朝もやと曇天で周辺の景色は良く見えない。アメリカ人のスチュワーデスさんは、そろってかなりの年配だったが、フランクで親切、おかげで快適な旅だった。亀の甲より年の功、というが、スチュワーデスさんの仕事も例外ではない。しかし、成田を昼過ぎに出発して9時間、昼間の時間でもあり、眠るには完全に失敗した。こうなると旅の行程は過酷になる。
さて、久しぶりのアメリカ、厳しい入国審査には驚く。全員、左右の人差し指の指紋をとられ、小型カメラで眼鏡を外して顔写真までとられる。入国管理官ボックスの壁には、Welcome to USA.と書いてあるが、これではいわば犯罪人扱いだ。あの9・11以降にシステムが変わったそうだが、病める大国の素顔、またこれに追随する日本の現実をかいま見る。
やれやれ、やっと空港出口に着いた。少し地面が湿っていて、日本よりだいぶ寒い、コートは持ってきていない。政治家は、寒さにはかなり鍛えられており、余暇もあまりないので、着るときがなく、たいていコートはしまいこんでいる。使うときは、数日干さないと、ナフタリンのにおいが消えない。機内では、結局うつらうつらした程度で、ほとんど眠れず、寒い空港の外に出て迎えの車をしばらく待っている間、この日の日程表を見てため息。滞在日程をできるだけ短縮するよう指示していたので、結果的にびっしり日程をいれてしまわざるをえなくなる。
早朝のシアトル空港までタコマの自宅からおそらく1時間はかかると思われるが、(福岡と北九州くらいの位置関係)タコマ市役所の2人のスタッフが迎えに来てくれた。白のワゴン車、タコマ市のロゴマークが入っている。この車に乗って、それから、まる二日間、案内をしてもらうが、スタッフには大変お世話になった。姉妹都市タコマ市の最初の僕の友人として末永くおつきあいさせていただきたい、と思う。
最初の視察地、ボーイング社へ向かう途中、ボーイング社に明るい通訳の方を一人ピックアップする予定で、待ち合わせのショッピングモールでしばし休憩することになった。僕の希望がかない、また、ここしか早朝であいてなかったので、シアトルに本社のあるスターバックスへ。
今朝から丸二日間を一緒に車中ですごすチーム5人の結団式、いや顔合わせ。喫茶店で、日本から随行した国際交流部のアメリカ通の課長、係長そしてタコマ市スタッフの2人の計5人でモーニングコーヒーの香りを楽しむ。日本と店のつくり、システムが同じなので、なぜかリラックスできる。いや、違いは少しあった。店から25フィート以内は禁煙のマークがモールのあちこちにはってある。この禁煙マークは、タコマ、シアトル滞在中、いたるところで見かけられた。さて、ドーナツの大きさと甘さは格別で、丼モノを一杯食べた感じになる。一つ食べるには、相当腹がすいていて疲れがひどいときにかぎる。滞在中は、アメリカサイズの大きさにびっくりすること、しばしば。
通訳は、シアトル在住3年の日本人ボランティアの方、これで総勢6人そろったので有名なボーイング社の本拠地に向けて出発する。片側5車線だが、車は次第に渋滞してくる。一番左のレーンは、乗員2人以上の車だけが走れる交通ルールなのでこちらへ。後部座席でもシートベルトが義務付けられ、違反すると人数分、罰金を支払わねばならない。ハイウエイは、ほれぼれするほどまっすぐで、しかもただである。道路そばにはヒマラヤ杉が群生しており、霧がでてきて、視界は限られるが、車窓から見える風景は素晴らしい。シアトルは、木材の貿易で栄えたところだ。アメリカの豊かさをじんわりと体感する。大型車は殆ど見かけず、日本の道路を走っているような中型者が一般的だ。石油の値上がりは、アメリカでも大問題になってきている。
シアトル北部にあるボーイング社のエベレット工場へ。この北端からはカナダのバンクーバーが近い。工場ではパスポートを提出して、IDカードを胸につける。747、767、777の工場見学のVIPコースへ。東京ドームの何個分だろうか、大きな長方形、高さは、飛行機がすっぽり入る、おそらくその2倍くらいの高さ。社員はてくてく歩くか、自転車で。見学は電気自動車を運転しながら解説するベテラン女性社員の案内ですみずみまで見てまわる、何を聞いても即答するところから、技術には相当に詳しい人物と思われる。最先端の787のコンセプトをヒヤリングする。技術の流失問題には相当に警戒しているようだ。
1時間半の滞在、後半、案内のボーイング社の方と慣れてきたので、僕からいくつか質問する。巨大な工場は、生まれて初めて見るキャパで壮観なドーム。そこで働く社員は27,000人、勤務時間は、渋滞緩和のため、30分刻みのフレックスタイム制、工場内にはタリーの喫茶店やクリーニング、食堂なんでもありの、言わば一つの街になっている。何と工場の見学コースの前で1羽の鳩が目の前に。ナヴィゲータいわく、一つの街には鳥もいるわよ、全然気にしないわ、と。暖房は入れないが温かい。新入社員の充実した教育システムの説明にアメリカ経済の余裕が垣間見える、日本の自動車生産方式を取り入れたカンバン方式、部品ごとに作業を連続し表示している。部品会社への発注をふやし、組み立て日数を縮減している。最新鋭の787は、日本の開発した新素材で機体を軽くして開発に成功した。社員の女性比率は何と45%であり、保育の独自のシステムを持っているというが、この点が一番印象に残った。飛行機生産の半分を女性が担っている、こうした点を日本はしっかり、見習うときだと思う。
見学を終えて、車で数分、トイレ休憩を兼ねて、ボーイング社のゲストハウスへ、お土産品も多数置いている、コーヒーを飲む。65セント。子供たちが遠足でたくさん入ってきた。ここの横にある滑走路はテスト飛行もやるらしいが、それだけで羽田空港以上の規模かもしれない。
ハイウエイで一路南下し、シアトルに向かうが、朝と同じ待ち合わせ場所で通訳と別れるころには、車中でもうこっくり。一行は5人で、シアトルのダウンタウンへ向かう。車の量が増え、一方通行も多い。初めて目にするシアトルの街並み。樹木が美しい街並みで、碁盤の目のような整然とした道路ネットワークは、素晴らしい。眠たくて食欲があまりない、昼飯抜きで次の目的地へ向かうことに。
シアトルを舞台にした映画「めぐりあい」は、トムハンクスとメグライアンが主演してヒットした。シアトルの市民はこの映画を良く知っている。原題は、Sleepless in Seatle。シアトルの魅力的な情景がたくさん出てくるが、眠たくてスポットを探すどころではない。
3時半、財界活動の中心的メンバーをシアトル中心部のオフィスに訪ねる。シアトルのリーダーの何人かに仕えて、頭はこの通り白くなり、このジョークから会話ははじまり、終始、にこやかに意見を交換する。今年5月、グレイターシアトルの財界一行が北九州を訪問した時、歓迎のレセプションが行われた。
歓迎の挨拶と北九州の経済政策について英語で10分ほどスピーチをした。
質問にも答えているので、自分の考えはご理解いただいていると思う。そのときにお会いしているが、シアトルの貿易経済開発では、大変な逸材だと思う。随行した本市の国際交流課長、アメリカ担当係長はともに英語使いの達人で、北九州のために用意してきたたくさんの質問をした。僕からは、世界の環境首都に向けた取り組みを宣伝し、物流など経済交流の推進についていくつか状況を尋ねる。会談の内容は、相手の立場なども考慮し、公表は避けたいが、ビジネスチャンスの可能性を探るのが、当方の目的だった。
シアトルには、マイクロソフト、ボーイングなどの本社がひしめいている。ビルゲイツの自宅やマリナーズもある。北九州の産業界とのビジネスチャンスをどう開拓していくか、そのヒントを得ようと努めた。まずは、人脈からだ。
1時間の会談が終わり、シアトルからタコマへ行く途中、郊外のファミリーレストランで遅めのランチを取ることにした。日本で言えば、ロイヤルホストのような感じ、ただ、店内は風光明媚な写真やスターの写真が飾られ、子供も大人も気を取られるトーテムポールのような人形が置いてあり、いいムードである。店の飾り付けへのきめ細かな配慮は、アメリカのいいところかもしれない。
初対面なのに、アメリカ人のお客は、にこっと笑ってこちらに挨拶していく。HAVE A NICE DAY.という感じ。タコマの市民は、フレンドリーだ。メニュー、値段は、日本とそう違わないが、ボリュームは2倍以上である。チーズハンバーガーを注文した。デザートをすすめられたが、とてもおなかに入らない。タコマのスタッフに早朝の出迎えでご迷惑をおかけしたことであらためて、ファミリーレストランで感謝の言葉を述べる。
タコマ市役所の二人のスタッフは、気立てが本当に優しい。少しづつ気心がしれてくる。早朝のモーニングコーヒーに続いて2回目のリラックスタイムだ。駐車場は、さすがにアメリカ、どこに行っても広い。メープルなどの樹木は鮮やかに紅葉している。落葉樹の街路樹政策は、落ち葉対策などコストがかかると思われるが、おかまいなしのようだ。丘陵地帯が近くに迫っているが、電線が見えないので、解放感が大きい。
現地の日系人がタコマ富士と呼ぶレーニヤ山がついに姿を現す。街中を車で走っていて、僕が最初に発見する。曇天だったが姿をあらわしたタコマ富士に出会え、感動する。
アメリカも日は早くくれる。夕方、宿に到着。ここでタコマ・ピアス郡の姉妹都市協会、タコマ・北九州姉妹都市委員会、日系の経営者など北九州との交流にゆかりのある方々と面談する。現在は中断している高校野球チームの相互訪問の再開など、いくつか話題となる。
それから、タコマコミュニテイーカレッジ(TCC)の主催の夕食会場へ。
ここで日本庭園の完成の先頭に立った北九州緑化協会の水野会長、庭園を設計した清水社長など日本からの訪問団と合流。アメリカからは、タコマで活躍されている日系アメリカ人の方々やトランスー学長の挨拶があり、にぎにぎしく懇親会が始まる。言葉の壁は大きいが、ワインで何度も乾杯するうちに、少しづつ言葉の壁が低くなっていく。英文スピーチを一応用意してきたが、考えてみると、姉妹都市45周年を記念してスタートした庭園建設完成の功労者は、何といっても北九州緑化協会。水野会長にスピーチをお願いした。みんな眠気をかみ殺し、しかし、楽しく姉妹都市の交流を深める。
コミュニテイーカレッジや在米日本人の方々の歓迎に心より感謝したい。旧小倉市の市長とタコマ市長が姉妹都市を締結する時の古い写真を在米の日本人医師に見せていただく。あれから48年たっている。この締結に立ち会った日本人医師が写真に写っている。48年前の写真を見ながら、当時の回想談を伺う。レストランの2階のパーテイー、アメリカの食事は質素に感じる。前菜にあたるチーズを乗せたクラッカーなどがあり、東海岸のアメリカワインで乾杯する、地球温暖化の影響でワインが生産できるようになった、と地元の人。それから野菜サラダ、メインデイッシュは、1インチくらいのパスタ、日本人好みの細い麺のスパデッティではなく、具もたくさんではない。そしてデザート。アメリカ人は、一般に陽気であるが、遠来の客をもてなすきめ細かな心遣いが素晴らしい。
お開きとなって宿へ。湖畔の3階建ての瀟洒なホテルで、朝起きるとロケーションは抜群と聞いていた。目の前の桟橋で肌寒いのに夜釣りを楽しむ市民がいた。
11月10日
タコマの朝は、すがすがしい。
今朝も曇りだが、時折明るい日差しが雲間から差し込む。湾になった湖畔の風景は誠に美しく、一幅の絵のようだ。
寒暖の差が大きいので、メイプルは鮮やかに色づいている。市内は、低層の建物が殆どで、街並みは、活気にややかけるという現地の一部の評価を別にすれば、実に豊かな都市である。例えると、芦屋市や世田谷区、仙台市のいいところを足した感じか。市内には無料の路面電車が走っており、碁盤の目のように道路が走り、住環境は良く、都市計画が整然としている。
9時50分、タコマのシティーホール(市庁舎)へ。
1階にゲストルームがある。バースマ市長が現れた。写真よりずっと若く見える。市長の歓迎の言葉に続いて、僕から表敬のご挨拶をおこなう。市長から、タコマ、北九州市(締結時は旧小倉市)の姉妹都市締結50周年の記念行事について提案があった。2009年である。同じく北九州市(旧門司市が締結)の姉妹都市のノーフォーク市(東海岸)と一緒に50周年行事を行なってはどうか、とも。これから良く検討したい(consider)と応えるにとどめる。
昼食は、市役所の視聴覚ルームのような部屋で。
何とご飯の上に焼き鳥が、鳥のほかもあったかもしれないが。信じがたいほどおいしいうりのサラダや、生のニンジンなどの野菜サラダ、コーヒー、ケーキのビュッフェスタイル。メニュには、日本人の味覚が配慮されている。ご飯がおいしい。非常にアットホームなランチで、思い出に残る昼食会だった。ホスト役の市長、経済開発局長も一緒に食事をする。時間をとって一緒に食事をすることは、最高のもてなしである。
二人とは、地球温暖化問題でトークをする。中国の状況、特にアメリカの今後の方向が話題となる。バースマ市長は、環境問題に熱意をもってとりくんでいる。
市長は65歳だが、年よりかなり若く見える。学者出身で、市議会議員を2期務め、市長に転出して2期目、首長は2期までとなっており、夫人はタコマが奨励しているガラス工芸細工のアーテイスト。プレゼントしていただいた夫人の作品は、帰国後、本市の庁舎に飾っている。
ランチが終わって、市長に市議会へ案内していただく。
何と小ぶりなミニホールであろうか。ここが議会、信じられない、そう思った。人口は20数万人だが、このホールには100人入れるかどうかの席しかなく、ステージに長い机がおいてあるだけ。議員は7人、議員と一緒に市長は、そのステージに上がり、議事を進行する。実務では、市長がシテイーマネージャーを指名し、行政をゆだね、実績が上がらなければ解職もできる。日本とは異なるシステムだが、アメリカ国内でもめずらしいケースと聞いた。そのシテイマネージャーとは滞在中ついぞ会えなかった。
黒字財政に転換できた理由を聞かれた市長は、いい質問と応じ、人減らしとベースアップの凍結とこたえた。一瞬、座は、しーんとする。ステージの議長席には、客席には見えないところにマンゴウのような形の石の置物が、何と字が書いてある。
patience(忍耐)。これには、爆笑である。
旧シテイーホールは高い塔に時計がついたクラシックな建築で、立ち止まってみていると時間のたつのを忘れてしまう、今は、ショップとアパートに一部使われているが、ハコモノの活用は、いずこも難しい。他にも随所にタコマには古い煉瓦造りの建築が保存されている。タコマは、美術館、ガラス工芸品に力を入れており、ガラス美術館もあるが、時間がなく、そこを訪問できなかったのが残念だ。
いよいよ、タコマコミュニティーカレッジで、日本庭園の除幕式。
開会の13時まで15分余裕を持って大学キャンパスに着いた。学内は、レイアウト、緑のアメニテイーとも申し分なく、低層な建物がいくつか配置されている。土地が広いことを存分にいかした魅力的な空間だが、学生の数は授業のせいかあまり多く見かけない。
枯山水の庭園のある広場に着いた。10分くらい遅れてスタート、パンクチュアルなアメリカ人にしては珍しい。庭園をバックに式典が始まる。これから1時間は、100人余の参加者にとっては、寒かったが印象に残るガーデンセレモニーである。
まず、バースマ市長と自分が除幕式をおこなった。枯山水の見事な庭園である。25万ドルはかかったのではないか。北九州市からは、設計図面をおくっている。
学長に続いて祝辞を述べるが、アメリカ人に親しみを持っていただくように、また、時間短縮にもなるように、英語で3分で終える。設計と技術の助言で協力した北九州緑化協会を代表して清水会長、そしてバースマ市長、建設期成会を代表してベーブ・レーヤー夫人、そして日系アメリカ人が日本舞踊でセレモニーのトリをつとめてお開きとなった。
散歩しながら学生会館へ。コーヒーを飲んであったまり、絵画展を鑑賞し、しばらく歓談し、三々五々キャンパスを後にする。
このあと、旧小倉市がタコマ市に寄贈した日本庭園を視察、庭園を一周する。
街から離れているせいか、少し寂しい。湾内が見える。庭で記念碑を見つける。
Laceleaf Maple Acerpalmatum 'Dissectum' Japanとあった。
それから、市内で随一のポイントデファイアンス公園へ。素晴らしい自然が大切に保存されている。北九州ジュニアオーケストラがタコマ公演のとき、バーベキューを楽しんだ湖畔の公園を歩く。ラクーンが何匹か遊んでいる。ワンウエイの道路が公園内を走っているが、自然をこわしている印象は感じない。樹木は、一様に背が高く、うっそうとはしていない、樹齢は何十年木だろうか。最高の森林浴が楽しめる、この静寂さはたまらない。
タコマは自然が実に豊かで、殆どの住宅が2階建てなので視界が一杯に広がる。区画整理は見事で、車の量は程よく、綺麗な街並みである。
車中から、レーニヤ山が見えた。曇り空でくっきりとは見えないが、たしかに夕焼けに生えてそびえている。
トイレ休憩を兼ねてショッピングセンターのコストコを25分ほど視察する。
もうあたりはすっかり暗くなっている。会員制のスーパーマーケットで、日本では久山町でオープンしている。とにかく広い、照明が明るい、天井が高い、メインテナンスのコストをけちっていない。商品は綺麗に陳列され、レイアウトは、実にゆったりしている。まず入り口、出口にたって迎える若い店員の愛想が実にいい、これが第一印象だ。子どもの絵本が中央に一杯おいてあるので手にとって見る。品数が多い、日本の書店にはあるのだろうか、セットモノで安い。アメリカにおける薬、医薬品の入手の手軽さは抜群というが、たくさん置いてある。パーティー用品の豊富さ、ワインはビールのように手軽なお値段、肉、チーズ、蟹など水産物の安さには驚愕、日本の半額よりずっと安いだろうか、自社ブランドをはじめ、品はそれなりのブランドと聞くが、単なる安売りでないところが繁盛の秘訣らしい。日本人が、ここで何回か買い物したら、誰しもアメリカに一度は住みたくなるだろう。
夜、ベイブ家のホームパーテイに招かれる。タコマ市長夫妻、コミュニテイカレッジの学長ほか先生たち、日本との友好、庭園建設に熱心な方々が一緒に招かれた。かたぐるしい挨拶はない、ウエルカムドリンク方式で、ビュッフェスタイル、部屋の一番いいところには、ご家族の写真がかけられている。家族を大事にするアメリカ人の気風に改めてふれる。
近くに市長の母校のスタヂアムハイスクールがある。湾に面した風向明媚な場所にあり、ハリーポッターが通う魔法の学校を明るいイメージでリメイクした感じだ。ヤング向けの青春映画のロケになったところ。ベイブさんは、実業家として成功をおさめ、日本庭園の募金活動の先頭に立った庭園の生みの親だ。
ホームパーテイーがお開きに、一路シアトルへ車は走る。50分でシアトル中心部のホテルへ。ここで2人のタコマ市役所のスタッフに別れを告げる。
1929年創業の古いホテル、ロビーは狭く、全体的に年代ものだ、Otisの古いエレベータはなぜかよく揺れる。部屋のコーヒーメーカは扱いがむつかしい、Proctor Silexのブランド名だが、骨が折れる。喫煙は250ドルの罰金で、チェックインのときにそれに同意する署名を求められる。ベッドのそばの小机の上にも、念のためか禁煙と書かれている。
次のお客様に快適にお過ごしいただくために、クリーニングフィーとして250ドルお払いいただきます云々
(a $250 cleaning fee will be assessed you should choose to smoke... )拙訳だが、この一文は忘れられない。
そういう訳で小雨が降る中、ホテルの外の交差点の角で眠る前に一本吸っていると、勢いよく歩きタバコの若い女性二人連れが、続いて若い男性二人連れに冷やかされる。スラングが分からなくて良かったが、たぶん尊敬はされていなかったようだ。出発前に聞いていたが、ここは、sleepless ならぬ smokeless Seatleだ。
時差のせいか、午前1時までエピソードを書いていたが一向にねむくならないので(日本時間夕方の6時だから、しかたがない)、クラシックなホテルなので窓が上下にあく、外を見ると自室17階の倍くらいある高層ビルが目の前に2方向に見える。そこは、ホテルではない、パソコンや働く人の姿がちらりと見えたからだ。土曜日の午前1時まで仕事をしている。目の前には、30階建て、5つのフロアで灯りがついている。一体いつまで仕事をするのだろうか。もう一度扱いにくいコーヒーメーカーをスイッチオンする。1時間に1、2回はパトカーのサイレンが聞こえてくる。北九州の都心より多い感じだ。3時になってまわりの高層ビルもようやく眠りに着いたので、自分もやすむことに。
11月11日
シアトルは曇り、時折小雨、また薄日がさす。
時差の影響だろうか、今度は目がさえて寝付けない。夕べは明け方まで原稿を書いた。4時間は床についた。
アメリカの朝食は、誠に質素である。おかずは、ジャガイモ、パリパリのベーコン、味付けしないスクランブルエッグのみ、他は、パンとコーヒー、果物。これで15ドルとは。アメリカのホテルは料金が大変に高い。タコマの宿でも、いわゆるおかずはなかった。アメリカは物価が安く住宅はアメリカだが、食事は何といっても日本が一番である。
しかし、一考するに、朝食が質素だと、主婦の朝の負担は大変に軽い、楽である。思うに、アメリカは、女性が最も社会に進出している国である。
今日が、アメリカ滞在3日目で最後になる。朝食をとりながら、あらかじめ相談してきた訪問先を確認し、夕方まで課長、係長と3人でシアトル市内を視察する。
まずは、車でダウンタウンを南へ走る。ビジネス街はお休み、車はすいている。シテイーホール、官庁街から街の南端へ、そこにシアトルマリナーズのホームのセーフコフィールド、プロバスケのシアトルシーホークスのホームのドームが並んでいる、そばにはサーキング駅とメトロバスの終点インターナショナルデイストリクト駅がある。オフなので施設の中には入れない。市民が大挙して集まるスポーツ施設は一体どんなところか、交通アクセスにも関心があった。街中にイチローの大きな写真が店の宣伝に登場しており、人気の高さを肌で感じる。
シアトルの海岸線
ここは、ボルチモアやサンフランシスコと並んで有名だ。
海岸沿いの99号のハイウエイを南から北へ走りながら、左手のエリオット湾にそった有名なシアトルのウォーターフロントを視察する、コンドミアム(高級なマンション)が道路に面した右手の海岸沿いに並んでいる。海岸を整備したら、マンションがたつというのは、どこでも一緒だ。門司港レトロを想起しながら、車窓からながめる。桟橋(ピア)には、48番から70番まで番号がついていて、いくつかエリオット湾を周遊するおしゃれなクルーズ船やフェリーの乗り場があり、その隣にはシーフードのレストランやショップが並んでいる。関門海峡とは雰囲気が違う、海岸沿いにゆっくりと車で走る。
しばらく行くと、対面4車線の狭い道路へ、中央分離帯がないので不安に感ずる。左手に見えてくるフィッシャーマンズ ターミナルには700隻くらいの漁船が所狭しとぎっしり停泊している。ここは、大きな漁港である。
スペースニードル(針)にのぼる。
1962年の万博を記念して建設されたタワー。180メートルの高さ。150メートルのところの展望台から、360度、シアトル市内がよく見渡せる。まず、コンテナターミナルを双眼鏡でのぞく。荷はうらやましいほど多い。ガントレクレーンが多数ある。地形からしても天然の良港だ。タワーから見える夜景は、全米屈指といわれる。夜来れなくて残念だ。モノレールがはるか下に見える、ただ、この開発はあまり成功していないらしく、運休中らしい。
シアトルは、1851年、5家族の入植でひらけ、豊かな材木の貿易で発展した。ダウンタウンには今でも緑、公園が大変多い。道路は実に鮮やかにストレートに交差している。湖と湾に挟まれ、せまい地域だが、中心部に高層ビルが集中立地し、高さなどが雑然としていない。湖の向こうには、ビルゲイツの邸宅や瀟洒な住宅街、ワシントン大学など古きよき時代のアメリカの香りを随所に残している。ブルースリー、ジュニアのブランドンリーのお墓もそのベルニュー一帯にあるが、時間の関係でいけなかった。
それから市内をまわる。軍人病院が岡の上に見える、綺麗な煉瓦つくりのように見える、そこにはあの有名な、僕もインターネット販売で愛用しているアマゾンドットコムの本社もある。マイクロソフト社、ボーイング社、スターバックス社、ニンテンドー米国本社などそうそうたる企業の本社がシアトルにあるが、残念ながら今日は休日である。
チッテンデン水門に寄る。
このあたりは北欧のスカンジナヴィア系の市民が多いそうだ。タクシードライバー10数年のキャリヤを誇りにしているロシア人運転手アレキサンダーは、本人も移民だが、そのあたりの移住の経過に詳しい。
湾の海水とユニオン湖の水位を調整する水門で古い歴史がある。隣接の水族館ではフィッシュラダー(階段)が見えるように作られ、ガラス越しの規模では、小倉の紫川の方が良くできた施設と思うが、丁度大きなサケが何匹か泳いでいる、サケにはかなわない。ヨットがぐんぐん水位を上下して水門が開閉して行き来する光景は、見事で、時間のたつのをわすれてしまう。
水門の横は原生林を生かした花畑公園である。緑の芝生が生えそろい、色づいた樹木が美しい。リスなども多く、遊歩道がゆったりととられている。都市公園のモデルだ。
再びダウンタウンのパイオニアスクエアへ。
19世紀のゴールドラッシュで最初にシアトルが開けたところ。シアトルの最も古き時代からの中心的スポットだ。100年以上の風雪に耐えたいくつかの古風な煉瓦つくりのビルや停留所の屋根組みが今なお現役だ。人気スポットの一つ、すぐ前のアンテイークを一軒店内をぐるっと見てまわる。100年前くらいだろうか、当時の精密なスケッチが印象的だった。かつての街並みを再現したアンダーグラウンドツアーが人気だが、時間がかかるので入り口からしばし眺めることにした。門司港レトロを想起しながら、古い建築物が、モダンな街並みにどう溶け込んでいるか、見てまわる。
ランチは、チャイナタウンへ。
といってもアジア各国の店が集まっている一角。アジアタウンの名の方が似合う。通行人が意外と少なく、ニューヨークやロサンゼルスの雰囲気ではない。あまり景気がいいようには見えない、シアトルにはアジア人が比較的少ないようだ。ヌードルの店の看板、そしてゴアの来店した写真につられて、ランチをそこでとることに。メニューを見るとどうも勝手が違う。まず字が違う。そこは、カンボジア料理の店だった。思案の結果、全員でヌードルを注文、味付けがどこか日本と異なるが、それは香りの強い薬味の野菜のせいだろうか。それに何と生のもやしと檸檬がでてきた。もやしを入れるとスープがさめる。塩味が薄い。麺はビーフンのように細く柔らかい。同じアジアでもカンボジアの味に慣れるのには時間がかかる。
お店から車のところまで3,4分くらい歩くが、紳士らしく見えない黒人の数人がたむろしている所に遭遇、街の真ん中だが、慣れないせいか、視線を合わせないように歩く。
アメリカの街路樹は、左右奔放に伸びているので、街の緑が厚く感じる、家屋にあたっても容認されているようだ。日本の場合、横に広がらずに高く伸ばすようにしている。
いよいよシアトルの中央図書館へ。
ここは、視察のハイライトだ。2004年5月にリニューアルオープン。透明ガラスと鋼材の組み合わせ、天上までの吹き抜け、どのフロアからも空と街並みが見渡せる。無料。すさまじいスケール、ガラスばりの斬新で大胆な建築、若草色に統一されたエレベータ、100万冊もの目を見張る蔵書の陳列、コンピュータによる蔵書管理、1階には子どもたちのフロアが用意されている。どの階にもびっしりおかれたパソコンの数、全部で400台。とにかくすごい、全階を見て歩く。
おみやげにいいのを見つけた。図書館のPRビデオ。3ドル、消費税は9.8%。帰国して図書館担当者に渡したい。
次に、アートミュージアム(美術館)へ。
今年5月にリニューアル。頭文字をとってSAM(Seatle Art Museum)という愛称で呼ばれる。玄関には、SAMのシンボルであるハンマーを持つ男のオブジェクトがあり、手がゆっくりと上下に動いている。丁度、神戸市美術館の所蔵品など日本の美術品の企画展があると聞いていたので、モダンアートの部屋も含めて全部見てまわる。リニューアルにあわせて70%のスペースを拡張、キッズルームがあり、全体的にゆったりとした展示スペース。
美術行政の将来については、今、本市でも議論が盛んである。まずSAMは、都心にある。料金は15ドル。企画展では、有田焼き、葛飾北斎、あか楽、茶室、らどん製品、洛風景の屏風などが陳列されている。中世のアジア地図は、中国など世界の日本観が伺われる。位置が少しずれている。九州の古地図は、ながめていて見飽きない。古い白の実物の自動車を天上からワイヤーで何台もつるして光る棒をたくさんつけたのが、エントランスに飾ってある。美術館メインの作品らしいが、これもモダンアートという。理解しがたい不思議な作品だ。
美術館からホテルまで寒いが、土曜日夕方のシアトルを体感すべく、てくてく歩くことに。宿についてさらに、あたりを散策する。隣の映画館は日本と同じ方式なのでまごつかないが、見る時間はない。あらゆる人種の市民が集まってくる。移民の国家であることを痛感させられる。スターバックスでは、子供たちが母親と一緒にたくさんあふれている。ビジネスパーソン、若者が主役の日本の店ではでくわさない雰囲気。庶民がファミリーで喫茶店を社交の場に使っている。商店のウィンドウは綺麗で、土曜日の午後だけに、たくさんの市民でにぎわっている。シアトルでは建物内での禁煙は固く禁じられている。長い時間をかけて、社会全体で禁煙社会を実現している。とどめの政策と思われるのは、タバコの値段を日本の2倍もするほど高価にしていることだ。そうはいっても若い人が歩きタバコをしている光景にはよく出くわす。街にはごみが全く落ちていない。本屋が多い。映画館は、日本のシステムと同じようだ。ドレス、タキシード姿のカップルを見かけるが、シアトルは、クラシックオーケストラ、オペラ、演劇でも有名である。
シアトル中心部のそぞろ歩きをしばし楽しむ。
外国を知るには、友人を作るのが一番だ。
幸い、夕食で板谷国際交流課長からアメリカの旧知の友人を紹介していただく。
ウオーターフロント開発で成功したアラスカウエイ、ピアの56番、30年以上の老舗、ここエリオットオイスターハウスは牡蠣の店で超有名だが、これが家族連れで超満員、1時間待ちの雰囲気。次に隣のピア57番の蟹のレストラン、クラブポットへ。ここも子ども連れが多い、家族連れ、アベックで店内はごったかえしており、やむをえず45分間、待って狭いテーブルに。価格は大衆料金だが、薄塩のゆで蟹とジャガイモを堪能できる。ここでは、小さな木槌でまな板の上の足をたたいて食べる。リーズナブルな料金で生活を楽しめるところがアメリカの魅力だ。ただ、ご飯はなく、やわらかい大きなパンをちぎるのが主食、この点、自分にはアメリカ生活にやはり溶け込めない。
さて、それはともかく、4人でテーブルを囲み、タコマとシアトルのことを僕からたくさん尋ねる、再来年に予定される姉妹都市50周年のありかたについても4人で懇談する。どういう企画がアメリカ人に受けるだろうか。
彼は、お酒が入るので車ではなく、タコマからバスで駆けつけてくれた。アレイから、タコマの自宅へ戻るのを見送る。アメリカ人でありながら、日本社会のこと日本文化に実に良く精通しており、信頼できる知日派だ。タコマ、シアトルと北九州をあらためて結び付けるヒントを得ようと、彼の言葉に耳を傾けた。
11月12日(火)
朝4時過ぎまでホテルの自室で原稿を書いたりして起きていた。快適に機内の10時間余をすごすため、あまり眠らないように、あえてそうした。3泊5日のアメリカの旅で、時差はやはりきつい。とくに初日の日程はきつかった。
さて、部屋にホテルの自販機にもミネラル水がないことに気づく、パン食だと小腹が減ってくる、そこでシアトル最後の夜、コンビニを探して散歩に出発することに。ところが、15分ほど歩いていたら、ビルのかげに2人のホームレスが、寒いところでじっとうずくまっている。ビルゲイツの邸宅もある豊かなシアトルの社会で初めて見かける街の一面。
何も買わずにまっすぐ宿へ引き返すことに。8時のモーニングコールがなければ危なかった。ホテルの時計がなぜか鳴らなかったので、旅には目覚しクロックの携帯が不可欠だ。
9時にバスで出発。日曜の朝のダウンタウンは、人影はまばらである。曇り。空港まで20分くらい。途中、くっきりとレイニヤ山が姿を現す。タコマ富士が北九州チームを見送ってくれた。
シアトル空港は、大きい。電車でターミナルを移動する。ウィングで3時間ほど出発を待つ。帰りは、偏西風が逆に吹くので、時間が相当にかかる。11時間はかかる。まず、空港レストランで睡眠薬代わりのビールとオムレツを注文、とんでもない大きなオムレツ料理が出てくる。言葉ではとてもその驚きを表現できない。機内でまずは、缶ビールをぐっとやって、一気に眠ることに決めた。これが正解、6時間半は眠れた。目が覚めたらカムチャッカ半島の近くまで来ている。あと3時間。起き出して、またパソコンでこの原稿を書いている。
成田からバスで羽田へ向かう。そこから北九州空港へ。北九州緑化協会の皆さんと別れ、夜10時40分、我が家に。朝、ホテルを出て21時間たっている。
時差が残っているらしく、2時過ぎまで新聞を読んだり、訪問記を書く。
ニュースでは、株価が下落。テロ対策法で強行採決。議会日程など、帰ってくると、気になることが一杯。明日は、9時から21時半まで平常通り、日程がびっしり入っている。