台湾紀行
2006年3月19日
誕生日を外国で迎えるのは、生まれて初めてである。
53歳の誕生日は台北で迎えた。
台湾の最初の訪問は、蒋経国総統の告別式に参列したとき。キリスト教によるお葬式であった。
超党派の大勢の国会議員と行動をともにした。春日さんの代理で、金丸さんに続いて総統府の会談を登る。ここではじめて総統就任前の李登輝さんに会った。
2回目は、私的な旅。
空港からまっすぐ蒋介石さんの眠る慈湖に立ち寄って花輪を捧げ、お願いして孔子廟の奥の部屋の案内をしていただく。台北のビリヤードキューの老舗を紹介していただき、2本買って帰った。また、故宮博物館を訪問し、庶民的な繁華街を歩いた。
3回目は、民社党としては最後の訪華団の団長で連戦首相と面会した。
今回は、4回目の訪問で、発案者は岡田さん、北橋、古本、三日月の4人の訪問である。
振り返ると、この1年間は、多忙で悩み多き役員室長の時代、総選挙結果と戦犯仮釈放中の身、最近の逆イナバウアー、まさに厄年であった。今年はいい年であってほしいと切に願う。
そういうわけで心機一転、岡田さんたちと訪台することにした。
朝、電車で折尾から博多まで、福岡空港は便利で、車で10分少し。そこから台北へ飛ぶ。連休のためか、いつもはゆったりしている空港が混み合っている。スーツネクタイ姿は、まずいない。スタッフから、台湾の大規模なデモのテレビニュースを見たが、行って大丈夫か、と電話があった。
さて、台北は曇りだった。中国から黄砂が飛んできていた。そう言えば、今年6年ぶりに関東地方に黄砂が飛んできて話題になったが、北九州にも毎年のように黄砂がやってくる。そんな時は、自動車のフロントガラスの掃除が大変だ。
出発便が参加議員皆違うので、待っている1時間ほど、出迎えていただいた台湾の幹部外交官とさまざまテーマで意見を交換できた。
まもなく岡田、古本両議員がそろった。
最初の訪問地、新しく秋に開通予定の新幹線のパビリオンのある新北まで1時間車で急ぐ。郊外に走るので、道はすいていて、デモ隊にも出くわさなかった。パビリオンには、家族連れの人々でにぎわっていた。モデル車両では、座席にもトイレにも大きな空間が確保され、ハンデイーのある乗客に対する配慮が行き届いている点は、感心する。陳総統夫人が交通事故で車椅子生活を余儀なくされていることはよく知られている。
台北市内は、10年余前と比べて大きく発展していた。車が大変多い。
世界で一番高い101タワーに上る。市内が一望できる。ビルの入り口に食品マーケットがあるので、食文化にふれてみたい、ということで見て回る。
夕方、日本、台湾の外交官と最近の台湾情勢について幅広く意見を交換する。いきいきとした情勢は、現地に来てみて、かなり認識を深めることができた。
21時から、日本の各新聞、通信社の駐台記者さんたちと1時間余、懇談する。日曜の夜遅い時間帯で恐縮するが、多数お越しいただいた。最終日に正式に記者会見するので、オフレコ懇談が中心になった。マスコミ記者さんたちの頑張りに敬意を表したい。
自分の部屋に入って、台湾のテレビ番組をながめていると、訪米中の馬台北市長の映像と最近の政治世論調査が報道されていた。台湾の与野党の支持率が拮抗しており、政治意識は極めて高いと思われる。野球世界大会で決勝進出をかけた韓国戦で日本が勝つ。3度目の正直で韓国を制す。台北で情報を知る。
12時過ぎ、こてんと寝てしまう。ところが寒い。空調がなぜか冷房しているように感じた、温度調整がきかない、なぜだろうと思って休む。
3月20日
8時、日本財界関係者との朝食懇談会。ビジネスマンの感じる外国認識はたいそうためになる。
9時半、国民党副主席と議員団に表敬するため、国民党本部に。自民党本部と同じく官庁街の目抜き通りにあるが、まもなく売却すると言う。
馬さんは、訪米中なので、残念ながら会えず、しかし、副主席は日本語で会談に応じていただいた。中身の濃い会談であった。
11時、外務大臣にあたる外交部部長に会う。若いが頭脳明晰な外交官出身者と聞く。
時間ぎっしりの予定なので、昼食は、バスの移動中にお弁当をみんなでひろげる。小雨の中、マイクロバスで1時間余、緑は豊かで、日本と少し樹木が違うようだが、そこが興味深い、この間楽しく車窓から緑をながめる。
新竹サイエンスパークへ。半導体で世界的なトップメーカーであるTSMCやに。まず外部関係者が入れないゾーンと聞いた。丁寧な説明を受ける。
パークの中心的なゲストハウスでは、映像をまじえて歴史と現状を聞く。北九州の学術研究都市と交流のパイプがある。原野を開拓して大成功を収めた。日本がここに学ぶものは大きい。
台北市内まで1時間余、マイクロバスは飛ばす。
10分間、時間ができたので、庶民の市場を見て歩く。かつての日本の市場を思い出す。
16時半、大きな公園の前の民主進歩党本部へ、質素な雑居ビルの3フロアを使っている。国会から歩いて10分という。主席のユウ氏に。写真よりずっと若く見える。筋金いりの闘士、原理主義者にあった感じだ。女性の国際局長と2人のスタッフが同席した。独立問題をめぐってはらはらする意見交換が続く。
僕が誕生日なことを調べていて、お祝いを言っていただいたことには、感動した。会談が終わって、帰るとき、盛大なデモで祝っていただいてありがとうございました、と言ったら、皆、笑ってくれた。
18時、国会議長にあたる立法院院長に表敬。
かつての台北高女の学校を国会に使っている、2階のバルコニーから美しい中庭を見る。与野党の国会議員がどんどん集まってきた。ここも空調は寒い。
立法院長主催の晩餐会が始まる。院長室横の丸テーブルの部屋。知日派の与野党の国会議員も多数同席した。僕の両となりの議員は、日本語を話し、漢字の筆跡は、実にすばらしい達筆だった。しばらくして、誕生祝のケーキが出てきたのには驚いた。立ち上がり、英語と中国語でハッピーバースデイーを歌っていただく。一つだけ願いをと促されて、台湾のご発展を祈って、ローソクを吹き消す。漢民族は、紹興酒で何度も乾杯をする習慣がある。僕は、最近3年間は、ビール少しと芋焼酎の薄い水割りの日々なので、台湾入国前に飲まないと決めていたが、誕生祝ケーキを前にすると。
そういうわけで、相手の顔を見て、杯をあげ、楽しく死ぬ気で何度か空ける、そしてハウーツー(たいへんおいしい)と言葉を添える。
この日、日韓戦の視聴率は日本で30数%に達したという。とにかく酔ったのでぐっすり寝入る。空調はスイッチを切ればよかったのだ。
3月21日
深酒の翌朝は早朝に目が覚める。今朝も小雨のようだ。いよいよ陳総統に会う日だ。
和食のバイキングの味は、日本人客が多いせいか、日本で食事するのとあまり変わらない。岡田さんとコーヒーを飲みながら、総統表敬にあたっての抱負の一端を聞く。
8時40分ホテルを出発、ロビーには日本人の観光客があふれている。滞在中、日本人観光客に会うと、あちこちで岡田さん頑張っての声が飛ぶ。なかなかの人気である。
9時、総統官邸で安全会議の秘書長に。マオスタイルのおしゃれなスーツ、ものこしのやわらかさ、実にクールなやりとり、さすがに総統側近である。
かつての日本総督府であった官邸には中庭があり、魅力的な建築である。韓国では、戦前の日本統治時代の建築物はみな解体されたらしいが、台湾では、日本総督府時代の建物が保存され、使用されている、実に美しい戦前の建築である、感動的な造形美と言える。東京駅にはその片鱗が残されているが、規模ははるかにそれ以上である。
11時、陳総統に会見。
大広間で一同着席し、凛とした静寂の中、総統の来室を待つ。
2300万人民を代表して民主党議員団の訪台を歓迎します、総統のこの言葉から会談は始まった。総統の誠実な風貌、丁寧な語り口、冷静沈着な発言、貧しい農家で生まれ、苦学して、少年時代から大学まで、すべて主席で卒業という秀才の誉れ高い人物という。
率直な意見交換を通じて、素晴らしい政治家だと思った。1時間5分のやりとりが終わり、写真撮影して、総統を見送る。われわれは、階段をゆっくり降りて総統府正面に出る。そして総統府を後にした。
11時半、記者会見にのぞむ。若干の打合せを議員団でおこなう。強行軍である。
12時半、台湾経済界のトップをまじえた意見交換会。台湾外交官の幹部、日本の外交官首脳も一緒に意見を交換する。
マイクロバスで空港へ急ぐ。
ところで日本人のフィーリングにあった台湾のお土産は意外に少ない。ブランド物中心では寂しい。もっと観光資源開発に力を入れたらいいのにと思う。
現地16時50分、台北空港を出発。
晴れ間はついぞなかった、2時間半のフライトで成田へ。かつては羽田に戻れたので不便になった。岡田さんと車で一路九段の宿舎へ。10時過ぎに帰宅、たまたま来ていた長男と晩飯を食べに出かける。同じ中華料理でも水餃子とくらげ、スープいずれも台湾より塩味が強い。
テレビをつけると、日本野球、世界を制す。王監督の笑顔が良かった。それにしても韓国のコメントはいただけない。キューバのカストロの演説は傑作である。中国とロシアの首脳が、エネルギー協力、イラン核問題での協調で一致。訪台中にも世界は動いている。